「タマは、愛らしいな…」
今日のトレーニングが終わり、部屋のベッドに腰を降ろしていたらデカい影が言葉を放った。
まぁ見るまでもなく、それはウチと同室のオグリの影やったわけやが。
「ど、どしたんオグリ?//」
全く、突然近づいて来てなんやねん。
折角一息ついてたんに、アンタのその言葉で心臓が活発になってもうたやないか。
「今日は…えらい突然やな…//」
「…」
(めっちゃ真顔やん…)
ただでさえデカいオグリが、腰を落としてるせいでより巨大に思える。
視点を上げて入って来よった顔は、真剣というより真顔や。
どういう感情で今の言葉放ったんか、ウチには良くわからんかった。
「タマ」ナデ
「んなっ?!//」
頭部に手の平を被せたかと思うと、オグリはウチを撫でてきよった。
優しく、往復を繰り返す。
「な、なんや!//」
「…」ナデナデ
「やめんか、ウチを子供扱いするんやない!//」
「…」ナデナデ
言葉は風のようにオグリに当たっては、また空気の一部として散っていく。
その間にも、撫でてきよる手つきに心地良さを生んでしまう。
もう少し、このままでも…ええか。
「…なぁ、オグr」
「タマは、可愛いな」
ウチの言葉を遮ってまで出した二言目は、さっきと大差ない情愛やった。
「な、何や…//」
「タマ、君は…」
本当に愛らしい。
今の一言を皮切りに、オグリは手をゆっくりと滑らし始めた。
「綺麗な髪だ」サワッ
「アンタも、似たようなもんやろ…//」
「いや違う」
細く長い指がまるで髪の質を確かめるように、生え際から毛先までをスルスルと動く。
髪には神経なんてもんないはずや、ないはずやのに…。
髪を泳ぐ指の感触を髪一本一本が感じとり、その度にウチはピクリピクリと反応してまう。
「手触り、匂い、タマ以外の毛を触ろうとは到底考えなくなる」サワッサワッ
「そ、そうか…//」
今のは、それだけウチの髪を贔屓してくれてるっちゅう事やな。
「タマ、君は力強い走りからは想像も出来ない程に華奢だな」
「んっ//」
次の標的をじっくりと、探すように。
肩から二の腕へと、オグリの指が滑り降りてくる。
さっきから思っとったが、どこでそないな生々しい触り方学んできてん…。
「綺麗な肌だ、私の指がまるで摩擦を感じない」
5本の指が、左右露出した腕の表面をゆっくりと這う。
触れるか触れないかのギリギリ、いわゆるフェザータッチがウチにもどかしい快感を与えてやまない。
(こんな事なら上脱ぐんやなかったな…//)ピクッ
練習直後は暑くて敵わんと脱ぎ捨てた青いジャケットが、たまらなく恋しい。
脱いでしまえばほとんど肌の出る上半身は、今やオグリの指が私有地にしとる。
「っ//」ピクッ
「タマ、感じているのか?」スッ
「ち、ちゃうわ!!//」
意味のない否定と分かっていても、素直に首を縦に動かすなんて出来ひん。
本当に、意味ないんけどな。
「フフッ、良い表情だタマ」
「…ッ///」
やっと笑った。
でも、依然として漂うどこか異様な空気感は変わらず滞在中だ。
オグリの目は、笑ってなかった。
(なぁオグリ、アンタの目には何が映っとんのや?)
ウチだけを未だ鮮明に投影し続けるその瞳は、何を考えているんや。
「指、キレイだな」
「…//」
「ほら、私の手と比べるとこんなに小さいぞ」
オグリのに収まったウチの手の平が、じんわりと熱を伝導する感覚が伝わる。
「小さくて、わるかったな//」
「何を言っている」
「だから好きなんだ、君の手が」
言葉と共に合わせていた手が離れ、指の間や関節、爪を念入りに弄っていく。
それは片や新しい玩具で遊ぶ小さな子供だが、その眼差しが獲物の質を鑑定する肉食獣にも思えた。
触れられる度、ピリピリと快感の浅波が駆け巡り、何かへ怯えるように冷や汗が背中を伝う。
(このまま、オグリに流されたらいかん気がする…///)
「なぁ、オグリ…そろそろ止mッ?!」
オグリの顔が、ウチの腹部とピッタリ合わさって消えていた。
「ちょ、ちょいアンタ何やってんねん!?//」
オグリは、ふとした時に何を考えているのかわからんくなる。
でも、だいたいは飯の事を考えてるだけやったってオチが良くある話や。
今日のオグリも、実を言えばいつもと似ている。
「…」スーハー
「んぁ//」
呼吸がこそばゆい。
じんわり温かい。
「タマ、君のお腹は秀麗だ」
口から発する言葉の風が生温かく、ウチをくすぐってきよる。
「君が勝負服を着る度に、私はこの引き締まった体に目を奪われていた」スリスリ
頬擦りをするオグリの声色は、先ほどよりもどこか楽しげで先ほどよりもどこか背筋に悪寒が走り出す。
止めようとすれば遮られ、新たな快感にまた遮断機のバーが上げられる。
(さっきから、その繰り返しやんけっ///)
「嗚呼、タマ…」ギュッ
頬擦りをしていたかと思えば今度はそのまま両腕を背中に回し、がっちりと抱きついてきよった。
オグリのホールドは、身を捩らせても、本体を引き剥がそうともビクともせえへん。
(このままやと、全部オグリに手玉とられてまう…//)
そう思いつつも、それでもええかな。
なんて考えたウチは、何なんや。
「な、なぁオグリ……//」
今度は、ガツンと言ったるで。
「そろそろ、離れて…くれへん……?//」
「…」
少しだけ、腕の力が強まった。
オグリは甘えん坊や、だからいつでも甘えてくれてかまわへんしウチもそれは嬉しい。
でもな、突拍子もなく口説き言葉かまして体おもちゃにされるんは流石に少しばかり待ってほしい。
(…でも、やっぱり嫌ではないんや……)
「オグリ、いい加減離れてくれへんか?」
「じゃないとウチもそろそろおk…」
「タマは、少し力を入れれば折れてしまうな」
やっぱり、冷や汗止まってくれへんわ。
「…オグリ……?」
空気とは止まることを知らない。
だが今この瞬間だけは、凝結したとしか思えない程に音がパチリと消えた。
無音の空間で聞く心音と、脈動の感触がこんなにも不安を掻き立てるスパイスになるとはウチかて驚きや。
「…」
依然黙りを決め込むオグリの言いたいことはようわかった。
そして、もし警告を無理矢理抜けようものならコイツは本気でウチをへし折る。
(…結局)
ウチはオグリの玩具になるしかないんやな。
長い付き合いは、皮肉にもよく理解させる。
「スベスベだな…」
「ほんのりと香る汗の匂いが私を更に駆り立てるよ、タマ…」
恍惚な表情でウチを堪能するオグリを見て、片隅の疑惑が確信へと変わった。
ウチらは同じウマ娘、つまり同種でありながら上下に差があったんや。
(あ、おい誰や今ウチの事バカにしたんは!)
(背丈のこと言っとるんやない!)
弱肉強食。
弱き肉は負け、強き者がそれを食らう。
すなわち、狩る側と狩られる側。
食う者と食われる物。
その構図が、今まさにウチとオグリの間で完成していた。
最初の時から始まっていた言い知れぬ恐怖は、食われる草食獣の心境。
違和感と肉食から逃げようともがくのは、自身が食い物ではなく生き物であることを証明したいから。
(このままやとウチ、オグリに美味しく食われてしまうんか…?)
(この白銀の毛と透き通る目をしたコイツに?)
(美麗な皮の内に隠された肉食らう凶暴な牙がウチをえぐるんか…?)
震えが、止まらない。
鼓動が、早い。
息が、荒い。
(…)
でも。
(…///)
口角の上昇を、止められない。
体が、熱い。
歓喜を、隠せない。
食される事を望んでいるのは、体か、心か。
(ってそんな訳ない!)
(そもそもコイツがマジもんの意味で食べるとは思えへんし、それにウチがそれを喜ぶなんてそないな変態的なことあるわけないやろ!)
きっと違う。
「ひゃ//」
「タマ…」
色々考えとったから目の前にいるオグリの事を忘れとった。
くすぐったさがウチを引き戻す。
この行動はいつになったら終わるのかなんて、本人にしかわからない。
いつかの終わりが来た時、残るのは衣服かもしれない。
(と、とにかくコイツの包囲解かな…//)
(うぅ、だがどないせいっちゅうねん…)
「…!」
「…」
唸り声がウチの下から聞こえた。
オグリのとうとう表した本性の手厚いご挨拶なんてものではない。
「オグリ、アンタ…」
お腹の鳴る音。
そういえば、そんな時間やな。
(しめた!)
「おうおうオグリ、なんや腹減ったんかいな!」
「…」
緩まった。
先程まで獲物を逃がさんと手錠のように捕獲していた腕から力が抜けた。
ウチは平然を作り、ひょいと獣から抜け出していつもの日常に戻ろうとする。
「よっしゃ、ウチが料理作った…る?!」
生物とは自身の気の緩みをつかれた行動をとられると、一瞬だけパニックを起こす傾向にある。
長くて2秒、だいたいは1秒。
コイツも一緒の筈やったのに、コイツの体は至って冷静やった。
「酷いじゃないか、タマ」
「オグリ…」
咄嗟に握られたウチの左腕は、きっとキレイクッキリ手形を残すだろう。
瞳はそれまでウチがいた場所のまま、オグリが口を動かす。
「私は、君を楽しんでいたのに…」
「で、でも腹が減ったんやろ?」
「腹はこのままでも膨れる」
「ウチを愛でてるだけじゃ腹は膨れへんで…」
「うわっ//」
くす玉の紐の如く引かれた腕に体も付いていく。
捕まれた腕がそのまま頭よりも上の壁に叩き抑えられる。
「…//」
オグリの瞳がウチの瞳を見据える。
蛇に睨まれた蛙の文字通り、完全にオグリの眼に束縛された。
「わ、わかったわかった…」
ウチはとりあえず降参のジェスチャーをなんとか空いた手でしてみせる。
「こうなったら、最後まで付き合ったる//」
自分でも恐ろしく、情けなく、めっちゃ恥ずかしいこと言うてんのは重々招致や。
このままオグリの愛を無下にするのは、ウチの良心が傷つく。
逃げてばっかじゃアカンよな。
「ホントか?」
「せ、せやけどな…」
「アンタばっかり責めなんはちょっと不公平やないか?」
やられっぱなしは流石に、プライドがあんねん。
少しばかりさっきからオグリの癖に調子のっとるから、ここでやり返したるで。
「やからな、次はウチの番でええか?//」
どうして、心は喜ばない。
ご飯が相手を愛でるのはおかしいのか。
役目ではない?
「…駄目だ」
「えっ?!」
「私は君を愛し、また君も同じだ」
「だが私が君を思う、感謝する心は私の方が遥かに大きい」
「だからタマは、そのままで良い」
理屈がウチには理解出来へんかった。
だが、体が安堵を感じるちゅうことは今の理屈に納得したんやな。
(そ、そんな勝手な//)
このままやと、本当に最後までオグリに手玉取られるままやんけ。
「お、オグリ流石にそれはないんちゃうか?//」
「…」
「なぁ…そろそろ止めへんかオグリ?//」
「…」
「オグ…むぐっ?!//」
突撃した手が口内に入り、舌を完全に封じる。
ゆっくりと顔を上げたオグリは、前髪で目が暗く認識しづらい。
「うるさいな、タマは…」
「おふりっ(オグリっ)//」
鋭い眼光は、ウチの体全体をスタンガンのように電撃を走らせ快感を与える。
腹をグルルと鳴らした獣がどこか優しげに、教えるように呟いた。
食べ物は、黙って食べられていろ。
(そ、それは…オグリ……)
そんな、酷いやないか。
それはあまりにも酷すぎるんちゃうんか?
つまりその言葉はウチを同室者とすら見とらんくて、完全に食い物として見てるってこと。
「ぁ…うぅ……」
頬を伝う塩分は、最後の味付け。
ウチを、芦毛の怪物が冷たく見上げていた。
『食べ物は、黙って食べられていろ』
アンタに、そんなぞんざいな扱いされたらウチは。
ウチは…。
「…ひゃい///」
完全に、惚れてまうやろ。
「タマ//」
いただきます。
完