女神は”勝利”と”走り”を、何より嫌っていた。
ある日。
女神から、罪を背負った娘 が生まれる。
彼女は我が子へ、”走ること”と”勝利すること”を禁じ。
常々、言い聞かせた。
外出する時も、外で歩いている時も。
常々、常々と。
ボードゲームでは、幾度と敗北させた。
最初は悔しさを見せていた娘だったが、敗北への反応は次第に薄れていく。
その様子へ彼女は、安堵と慟哭を潰し混ぜたような。
そんな、幸のない笑みを浮かべていた。
時流れ、娘にできた恋人。
ほんの出来心。
発生した油断は、背だけが伸びた能無し馬鹿の成長故に。
自身が発現させた、事の悲惨さを知る。
こんな 呪い が無ければ。
新人種なんて、産まれなければ。
母は……。
・
遅枯れた秋。
夜明の肌寒さだけが、疎漏四季に振り回される私の希望。
ダイヤル式だったあの頃を、思い馳せ。
「……」
屈伸をする者、掛け声と共にコースを廻る者。
鼓動と少しの土煙は、不思議と本来居るべき場所のようで気味が悪い。
「……トレーナーさん」
「……」
「あ、あの……トレーナーさん」
「!」
「……カフェ?」
外ラチから見える彼女達は、一味違う。
無責任な傍観者になったようで、貴女と一体になれたようで。
「どうか……したのかな?」
レールに肘を置き、風に揺れる芦毛は1億カラットの美しさ。
数回の呼びかけに、右目が私へ向く。
「その……先程かr」
「さっきから、何処か落ち着かない様子」
2バ身 先へ聞こえるよう、張り切った産声。
努力虚しく、遮ったKYマッドサイエンティストは彼女の側。
舌打ちをしてしまいたくなる。
「……タキオンさん」
「やあ、カフェ~」
「邪魔……しに来たんですか……?」
ニタニタと、赤目の破戒僧。
「誤解しないで欲しいねぇ、質問が被ったのは偶々さ」
雑な指差し。
誤謬者を、あやすように。
「まあ、それはいいとして」
「ギンザメくん、君がそこまでソワソワとするのは稀だ」
「……」
「無意識かな?」
「いや……聞くまでもないな、チェスを触るのは”動揺”だろ?」
言葉に釣られ映した手元。
黒い偽革ガントレットの手中、転がる騎士が光りに艶やく。
貧乏揺すりがピストン機構を担い、レシプロエンジン式に機能。
指々が稼働し、黒の魅了。
「他者への関心と観察を怠らないことは、称賛に値する」
「ただ、長い帯は……首を吊るにも丁度いい」
左は恐らく、タキオンさんに向かず。
開した口角、#FFFFFFのギザ歯が代わりと見下ろしている。
「研究者とは、常に死が恋人……そもそも観察力を長所とは考えたこともない」
「ククッ、だろうね」
「……むぅ」
分かってます。
彼女が他者へ、関心を寄せていないことくらい。
甘くなった探求者との近さも、提示する幼げな笑顔も全て。
私以外が容易く拝める普遍。
私だけが縮まらない距離、特別という絶対的な独占権。
(……ズルい)
分かって……。
「話を戻すがギンザメくん、君……」
「走りたいのだろう?」
「え?」
「……」
逆張るウマが、反方向で背中を預けると。
さらと出た明言に、妬みは何処へと すっとんきょう。
「ああいいんだよ、誤魔化さなくて」
「珍しいことじゃない、ウマ娘達が走り風となる姿に、自身も走りたくなる衝動」
勝手に進む会話。
「トキソプラズマのように、ウマ娘も何かしら作用を引き起こさせるのかもしれないねぇ」
「つまり君も、その一人……」
私側、右も何処へ視点を置いているのか。
「どうだい、走ってみては?」
人参を人質にされた豚が、焼かれる親よりも興味を示すが如く。
迂愚な発案へ、貴女は面丸々を彼女へ差し出した。
「なに、現在 中央のコースを使っている者はいない」
「適当なランニングでも、走欲を満たすには充分なはずだよ」
「……ふむ」
「と言っても、いつも通り君はキナ臭い台詞で否定するのだろ……う?」
大きな釣り針を追う巨体銀、ヒトを分かったかのようにベラベラと捲し立てる赤粒子。
4回目ともなった固まるキャラ像に、だんだんと話の流れもマンネリ化。
そこへ投じる新展開。
思わず情けない疑問符は、私を笑わせる。
「トレーナー……さん?」
軽々と飛び越え、コース内。
芝踏む音が、辺りを静寂へ。
「今から私と、模擬レースをしてくれるウマ娘はいるかな?」
「「ッ?!」」
「「「「「ッ?!」」」」」
低一線、60°キープの声量。
半径数百mに届いた言葉が、秒刻みすらも止める唖然。
―も、模擬レース?―
―あれ、カフェさんのトレーナーだよね?―
―人間がウマ娘と?―
―……―
「おやおや、ギンザメくんも中々茶目っ気があるじゃないか」
がらんどう な廃墟へ来たように、重苦しい無音がカラスを掃かす。
探求者が思う彼女の造形、尚も瞳は子見る親。
「さてはて、無謀なチャレンジャーに対するは誰となるか?」
「接待競走も、楽ではないだろうねぇ」
泳ぐ金魚に語る人。
「……やります」
「!」
「……」
どれだけ家族を語っても、所詮金魚の寿命はメダカの涙。
私もきっと、シャチとなる。
「そのレース……私に、相手をさせて下さい……トレーナーさん」
「…………」
「……ああ、構わない」
「!、ありがとう……ございます」
6秒間、苦い表情の天秤。
承諾に私の声色が、12ルクス 鰻の光沢。
千載一遇、仕掛け時。
「あの、トレーナーさん……」
「?」
「このレース……もし私が勝ったら……」
差す。
「トレーナーさんに……触れても、良いですか?」
それでも、恐る恐る。
申告する子供の虫歯、鬼門を壊せるかどうかは運次第。
3秒の拷問、早まる鼓動が落下スプーン。
肉眼では捉えきれない、微々たるドギマギは余韻の振動銀。
「うん、良いよ」
「……えッ?」
0%に夢現いた憐れさ、0.0001の晴れ幕が私を照らし出す。
「え……あの、良いんですか……?」
「ククッ」
「ひどく不思議そうにしているが、君の提案じゃあないか」
「……それは、そうですが……」
予想外に予想外、ミルフィーユ。
それでも甘く、嬉しさも ひとしお。
(もしや……)
彼女へ遂に、私の思いが伝わったのだろうか?
こちらから向こうの手札は透けている、故に勝負は明白。
こんな単純問題を、解けないなんて有り得ない。
遠回しな許可、彼女の笑顔が私に触れたいと言っている。
「さて、それじゃあ……モービル君」
「え、ワタシっスか?」
ハッとして勝負手前。
彼女の指名に、モービルブレイドさんが自らを指して聞き返す。
「差し支えなければ、レースのスターターをお願いしたい」
「!」
「もちろんっス!、ギンザメ先生の頼みとあらば喜んでっス!!」
目を輝かせ、ボーイッシュな黒鹿毛は役割位置に着いた。
「ククッ、ありがとう」
「さあ、カフェ」
「……はい」
続き、私達もスタートライheeeeee※%#”¥__
並ぶ右隣、マンハッタンカフェ。
風に靡く青鹿毛は、美しき猛毒だ。
(………)
嗚呼、どうして武者震う?
聞こえてしまう、大舞台のファンファーレ。
声援と罵声、大罪人のディルチューレ。
(走るたび、貴女を近くで感じてしまう……先絶たない後悔)
ごめん、母saaaaaaaaa¥$%&___
へ並び立つ。
「……すぅ………はぁ………」
一瑠璃の汗。
深呼吸が、芝2400mの楕円に溶ける。
(手は抜かない、油断もしない……)
するつもりは、毛頭なく。
手違いで天地開闢が起ころうとただ、今だけは絶対に負けることを許さない。
勝つ。
「位置について……」
「カフェ」
「?」
ここ一番の大レース、手刀がゆっくりと挙げられる中。
「虎は?」
「……はい?」
緊張が ほどけて しまう突拍子。
宇緑球が覗く無邪気な質問、鋭く上がる口角にギザ歯は見下ろす。
「よーい……」
「虎は、何だったかな」
質問は意図を理解不能、その重要さは己の未熟さ故に?
姿勢を低く、負荷を掛けた右足は解放を待つ。
対して彼女は何時までも構えず、ナイトが宙ぶらりん。
「ドン!」
「……すみません、トレーナーさん」
落とされた火綱、皮切りはゲート開口の音がした。
「おっと、ククッ」
申し訳なさは露もなく、惑わしの問いなど振り払ってしまえ。
弾かれるようにバネ飛ぶスタートダッシュ。
隣にはもう、誰と居らず。
・
第一コーナーを通過。
脚色は衰えず。
(長距離、芝……)
(私の得意なフィールド、独擅場……)
風切り音が心地よく。
トレーニングの成果を、肌よりも脳が確信している。
第二コーナー。
眼前を走るウマ型粒子が、行く先を示す案内バ。
(………)
空気と芝の悲鳴、それらを除けば酷く色無き音々の閑静。
(……おかしい)
(確かに、これは一対一の模擬レース)
(だとしても……あまりに静か過ぎるような)
第三コーナーが近z__。
「虎ってね……」
「へ___?」
へ?
初めて聞こえた走行外の環境音。
震わす線は一定で、横切る芦毛が美しい。
「兎を狩るにも、全力なんだよ__」
「___ッ」
第三コーナー通過。
遅れ、私も通過。
(……何が、どうなって………?)
(あれは、トレーナーさん……?)
上手く思考出来ない。
圧倒的キャパオーバー。
(いや___)
(そんなこと今は、どうでもいい………!)
蹄鉄が鈍く沈む、踏み込んだ右足に込める。
「はぁぁぁ……ふっ!」
母なる大地にモーゼの印。
解き放たれた弾丸、貴女を貫く為に。
「……」
(!)
僅か縮まりだした距離を、背中から読み取ったのだろうか。
より前傾姿勢となり、ドゥラメンテに似た荒々しい走りが研ぎ澄まされる。
気付くよりも辺りは暗く、マリアナ海溝よりも深く深く。
「ぁ__ぐ、はぁ……かはッ__はぁ……」
乱れる呼吸。
アレは、何?
前に居るはずなのに、後ろからも威圧がマークしている。
ガシャガシャと、巨大な何かが口を開閉する音。
もしこれ以上スピードを落とそうものなら、間違いなく喰われる。
(なんで……距離が、縮まらない……ッ)
最終コーナー通過。
「ハァ__ッ、ハァ__ッ……」
怖い。
深い日曜の鎮魂歌。
どうにかなってしまいそうな程、アレが恐怖心を植え付けて止まない。
(負ける……このままだと………ッ)
どす黒く。
あの饕餮が放つ、殺意をも負かすオーラ。
トレーナーに、初めて抱く恐怖。
ウマを草食として。
あれは紛うことなき肉食。
衝撃。
深海に淀み広がる、沈黙の衝撃。
「……」
「はぁぁぁ”ぁ”ぁ”__ッ」
時が来る。
喉を壊す程の叫び、脚の破壊など とうに忘れ去り。
振り絞る、チャンスの為。
「「___」」
刹那。
靡く髪が鹿毛り、青く嘶いていた。
1.24秒、2バ身差の敗北。
・
「ハァ……ハァ………」
肺よりも、心臓が未だ痛い。
足裏に尚も、あの衝撃波が波打っている。
「ガハッ__ッア」
「!」
顔を上げ、朧気な視界の中。
怪神は突然その場でヘタリこみ、大きく膨張収縮する背中。
苦しんでいる。
「ガッ__ハァ”ッア……カヒュ、ッハァ”__グッ」
(……)
ウマ娘の器官は、人間とはたびたび異なる。
仮に人間が、ウマ娘と同じ走力を出せたとしても。
呼吸量と呼吸力に、肺は破裂。
輝くゴールは、きっと天国になる。
故に。
(無呼吸完走……)
ぐちゃぐちゃの呼吸は、その反動。
―ウマ娘が、人に負けた?―
―全力だった、よね?―
―そんな、ありえない……―
―うおー!やっぱ先生スゲーっス!!―
他のウマ娘達やそのトレーナー、溢れるような どよめき。
歓喜の声援は無し、ただ気だるげな空気感に嗚咽を漏らす。
「ハァ……っと」
落ち着いたのか、満足したのか。
スクり立ち昇る、銀巨塔。
「トレーナー……さん」
「油断大敵、奴隷を逃がすのは優越に浸れるだろうが」
「いずれ、寝首を斬られる」
「……」
ぶつかる瞳は不動、レース中に渦巻いていた鍾馗は消失。
「無抵抗でも、殺すに越したことはないよ」
「……はい」
いつものトレーナーさん。
綻ぶ口角。
心地良い胸の締め付けは、余り余る安堵の濁流。
「……トレーナーさん、貴女は……一体__」
「おいおいおい!何なんだい、ギンザメくん今のは?!!」
「……はぁ………」
生まれた小鹿の頼りなき足元を、ようやく馴らしては搾るクエスチョン。
さっきよりも慌ただしく五月蝿いデジャヴ、ウザったらしさにタメ息が出ます。
「体内に響く地蹴り、鳴り響く風切り……!」
「カフェの走りは、レース時との遜色は殆ど感じられなかった……」
「つまりは、おおよそ人間が到達し得る速さではないということ」
コースに入り込んだ野次ウマが、荒んだ瞳孔をかっ広げた口語。
「加えて」
次に注目は、芝へ。
「!」
「これは……」
「この足跡、本来はカフェが走った軌跡のみに存在しうるはず」
向けた視線。
スピードを上げる際に踏み込んだ跡、U字に形が抉れている。
「だが明らかに、君の軌跡にもコレが存在している」
「ギンザメくん、そのブーツ……裏側を見せてくれないかい?」
「ククッ、どうぞ」
クルリと180度。
レールに支えられ、上げた右足の裏より反射したU字金属。
釘打たれた、黒ブーツに不等一な いぶし銀。
頭内で仄かに聞こえる、足音に混じった生臭い金属音。
「………蹄鉄」
辛うじて、彫られた文字は Lov__までは読むことができる。
「やはり……とでも言うべきか」
顎に手を当て、細める目。
事の重要さから背くように、神妙トーンがわざとらしく。
「廊下に結節していた鐘音、これが正体とはねぇ」
間延びる語尾に意も課さず。
脚を戻し、みたび私達へ180度。
「ウマ娘にとって蹄鉄という存在は、潜在走行力を最大限引き出すことに一役買っているわけだが……」
「ヒトにとっては、邪魔な重しでしかない」
「それがウラン合金であるなら、尚更さ」
古代ローマ時代より、競走バの靴底に常備されていた蹄鉄。
人間と似通う外見であるなら、弾力性の高いゴムに機動性を見出だせるはずが。
ウマ娘は どういうわけか、重力に従順な鉄板がよく馴染む。
“裸足で走る”わけじゃないのに。
「ギンザメくん、君はヒトなのかい?」
「新種のUMAと断言した方が、まだこの事態に説明はつく」
「UMA、か……」
普段なら透過度の下がる発言も、この場は任せる他のない歯痒さ。
ただ黙って、貴女の反応に流れる。
「……ククッ」
ぼんやりと空を仰いだ後。
踵を返したソレが、喉で笑う。
汗一つない白黒体、黒騎士のアクセントが極端なチェスを示す。
「ウマ耳も、尻尾も、無い」
「世間一般の視覚から映して、私は間違いなく人間だよ」
首だけ振り返った左側。
こちらを見ない真っ直ぐな瞳と、睨むようなギザ歯にトキメく苦悩。
「ただ、まぁ…………そうだね」
嬉々とした種明かし、けれど悲痛的で。
引き裂かれた体の半分を想う少女のような、泣き殻の孵化。
「私の体には……」
「ウマ娘の血も、流れている」
「「!」」
観客バが各々の練習へ戻る頃。
疑いが、漸く公な確実へ。
脳が鉄柱を喰らう歪感、尖った空気が針諸とも突き刺した。
糸/