新崎Maskoff日誌

役に立たない話等を書いていく予定です。

【小説】Love Lost #2


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EP.2【今宵の君は】

 

 

晴天の中聳える石城は、その室内を少量の日光で申し訳程度に照らす。

 


キーボードと多数のモニターへ立ち向かうのは、たった一人の科学者。

 


その周りを、パンクな青服の機械少女達が世話しなく行き交っている。

 


濁った銀髪が4〜50余り、思考もなくただ歯車だけを動かしていた。

 


 


「………」

 


キーボードの入力音に交じり、カロカロと棒付きキャンディの合いの手が入る。

 

味は、強いて言うなら甘い。

 

当たり前だ、これは効率的な糖分補給であり、私自身甘い物に執着はない。

 


「……もう終わったか」

 


少し苦い強化プラスチックの棒を口から摘まみ出すと、妙な哀愁にポツリ言葉が漏れた。

 


「はむっ」

 


噛み跡1つない棒を水に溶かし、新たなキャンディを口に咥える。

 

飴は、絶対に噛まない。

 

噛んでしまう事が、私自身の終わりと知っているからだ。

 


『アルジ様』

 


「………」

 


『アルジ様は、沢山飴を舐めるのですね』

 


「………」

 


『この方達は、ワタシに似ています』

 


「……似てないよ」

 


二回決めた無視も、その一言には破らざるを得ない。

 

だってそうだろう。

 


「ング、こっちに」

 


『はい』

 


椅子ごと体を彼女の方へ回し、手招きで近付ける。

 

唇さえも奪える近距離は、少女特有の甘い匂いをより一層強く感じた。

 


「温かく、華奢で心地の良い肌」


「甘い香りと、それを発する白藤色の髪」

 


優しく彼女の髪を撫で上げると、先端にかけてピンク色のグラデーションになっている事がよく分かる。

 


「顔を」

 


『……はい//』

 


「綺麗な瞳だ」スッ

 


ほんのりと紅潮する頬、抉り出したくなる程に美しいマゼンタの目。

 

一体君のどこが、あの薄汚れた試作型と似ていると言うのか。

 

私には、理解し難いね。

 


『…アルジ様も、綺麗な目をしています』ニコリ

 


「………」


「…………あぁ、そう」クルッ

 


『?』

 


「………」

 


急に冷めた態度で体をモニターへ向ける私に、

ングはどうやら困惑している。

 

何度目だ。

 


『あの、アル…』

 

「………」スクッ

 


『?』

 


「私の事を、仰々しく呼ぶなと言ったはずだ」

 


立ち上がり、巨体の半分程しかない背丈の彼女を見下ろす。

 

足元に転がる量産型の腕が、肉みたいな質感で踏みつけると気色悪い。

 


『……では、Dr.デウス様?』

 


「違う」

 


『それでは、博士』

 


「違う、違う」

 


頬にわざとらしく、人差し指を添えて考え出した機械少女。

 

可愛いらしい直線的トーンで、予想通りの間違いを並べ出す。

 

何度目だ。

 


『………』

 

『……アナタ』

 


「…ッ」


「…………………………」

 

「……違う」

 


迷いは、生じる。

 

常に断固たる意志が、それ以外を排除するとは限らない。

 

その呼び方の魅せた揺らぎは、きっと将来という希望としては上出来だろう。

 

だが、それでも。

 


『………』


『では一体どうお呼びすれば、良いでしょうか?』

 


「…………ロヴェだ」

 


初めてだった。

 

自分の名前が呼ばれる温かさ。

 

最後まで、そうだったな。

 


「何度目だい?」

 

「私の事は、ロヴェと呼んで欲しいと何回も言っているはずだが」

 


『………』

 


「君は、愛人である私の言うことが聞けないのかな?」

 


『……ッ』

 


背後に回り耳元で囁くと、華奢な体が嬉しそうにはね上がった。

 

頬に添えた手の平が、瞬く間に熱を帯びて可愛らしい。

 

何度目だろうね。

 


『……はい////』

 


そう言って、笑った。

 

期待を乗せた、潤んだ瞳で。

 


「……」ニヤリ

 

「名前も覚えられないような悪い子には、私からの"お仕置き"が必要だねぇ……」

 


『……////』

 


雰囲気を邪魔するガラクタの眼球を、適当に足で埃と払う。

 

コロコロと転がる先、金属切れにぶつかった音は同情も誘えない。

 


「ククッ、悪い子だな」

 

「……そんなに」

 

 

 


私が、待ちきれないのかい。

 

 

 


『んっ//』

 


鮫の如し歯で彼女の耳たぶに甘く噛みつくと、痛さに悶える肉機械。

 

何度目にも至るやりとりに、退屈なんて微塵も感じない。

 

むしろ、その幸せに高揚が抑えられなかった。

 


「さ、それじゃあ……」


「今日も君で、あのシーツを汚してもらおうか」ニタリ

 


こんな私でも、意外と雰囲気を大事にするのさ。

 

ハウスダストが観客の、狭く暗い寝室。

 


『はい、アルジ様……///』

 


「ククッ……」

 


だが、雰囲気なんて一瞬にして弾け消える。

 

一方的な私の愛に君の溺れる声だけが、ただひたすらに響くだけ。

 

そして君の窒息しそうな程に堕ちた顔は、いつも私を絶頂へと導いてくれるのだ。

 

嗚呼……。

 

何度でも、見たい。

 


「今夜の君は、一体……」ササヤキ

 


『……/////』

 

 

 


どんな表情を、魅せてくれるんだろうね。

 

                                              完

【小説】Love Lost #1


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【EP1 再会】

 


枯れ果てた木々からは、一枚の葉っぱも残っていない。

 


吹く風が砂ぼこりと、少しの金属切れを宛無く運ぶ荒野。

 


その中心、まるでふんぞり反るように佇むそれは。

 


突如現れた、絶壁。

 


それを城と言うにはあまりにも、品性に欠けていた。

 


 


薄暗い石壁の中、辛うじて認識出来る程に人の姿が動く。

 


高さにして約2m、その巨体とは裏腹にメリハリのあるボディ。

 


キーボードの入力音が石壁に反射する度、良く 響く。

 


四方に設けられたモニターを、結ばれた癖毛のナイトブルーは等しく揺れる。

 


「…………そろそろか」

 


ノイズのない低音ボイス、ニヤリ笑う彼女から鋭利なギザ歯が顔を出す。

 


Dr.デウス

 


それは、彼女が付けた自身の勲章。

 


本当の名は。

 

 

 


「さぁ、お目覚めの時間だよ」

 

「愛しき人よ」

 


押されたエンターキー、そこから発生したように配線は淡く光りだす。

 

やがて1つの少女に終着した光が、命と変わる。

 


『………』

 


『……………』ジジッ

 


仰々しい起動音と共に、ゆっくりと瞼が開かれた。

 

ツタの這う石城からは浮きすぎた、パンクな赤い衣装。

 

その瞳は衣装よりも目を引く、射ぬくようなマゼンタカラーだ。

 


『………ここは?』

 


「………」


「……………おはよう」

 


『……?』

 


薄暗い黒を透かしてしまいそうな程に、透き通った白い肌。

 

薄い桃色の唇から放たれた声は、濁りのない直線的なトーン。

 


「さて、まずは……君の自己紹介をお願いしてもいいかな?」

 


『了解しました』

 


『No.00』

『ワタシは、シングロイザーと申します』

 

『以後お見知りおきを、Dr.デウス様……』

 


そう、たったそれだけ。

 

彼女が知る自分自身が、その淡白な一言に全て詰まっていた。

 


「上出来だ、ありがとう」

 

「では、今度は私の番だね」スクッ

 


倍近い背丈に、少女が顔を上げる。

 

わざとらしく咳こみ、わざとらしく靡かせる赤みがかった白衣から埃が舞う。

 


「私の名は"ロヴェ・ロスト"!」

 


琥珀色の瞳が、イタズラっぽく表情を作る。

 


「又の名を、Dr.デウスだ!」

 


天才科学者、それは神にも等しい偉業を成し遂げたことだろう。

 

そんな神の名を、一体誰が知ると言うのか。

 


『…………ロヴェ……ロスト……様』

 


「……あぁ」

 


胸の前で手を組み神を見上げる様は、とても機械仕掛けとは思うまい。

 

明らかにそれは、人の顔。

 

悲しさ、嬉しさ、愛。

 

人間だけが許された、感情のごった煮だ。

 


「……」ギュッ

 


『ッ!』

 


目線を合わせ、少女を優しく抱き締める。

 

その姿は、神とは程遠い。

 

嬉しさ、愛、悲しさ。

 

人間の持つ、下らない感情だ。

 


「……やっと、会えたね」

 


『…………はい』ギュッ

 


答えるように少女は腕を背中へと回し、そっと擦った。

 

泣いていた彼女を、慰めたかったから。

 

大きな体に子供のような頼りない背中を、安心させてあげたかったから。

 


「会いたかった、ずっと」

 


『私もだよ……ロヴェ』

 


「あぁ、その声……聞きたかった」

 

「もう、絶対に君を手放さないと誓うよ」

 


サラリとした皮膚から伝わる温かさ、これはただの機械熱だろうか。

 

絶え間なく廻るモーターが持った、苦しさの熱量だろうか。

 

否。

 

 

 


「私の、愛人よ……」

 

 

 


『……ワタシは、貴女の愛人』

 

 

 


流れる赤黒い液体はなんだ。

 


散らばる臓器は?

 


感じる、キスの味に酔いしれて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

火が灯る。

 

                                               続

【RWBY 氷雪帝国ss】Whiterose

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「あわっ」トス

 


レンガに鳴る靴音二つ。

 

突然腕を引かれ、私は潮風と共に氷河を感じた。

 


「危ないですわよ、ルビー」

 

「前を見て歩きなさいと、さっき言ったばかりでしょう?」

 


「あ……えへへ、ごめんワイス」

 

「つい、よそ見しちゃってて…」

 


頬をポリポリ、誤魔化して見せる。

 


「今ここには、そんな目移りするような物はございませんわよ」

 


青黒いサングラスの向こう側。

 

チラリと瞳が私を見て、呆れたようにまた前を向く。

 


「……いるよ、目の前に//」

 


「今、何か仰りまして?」

 


「う、ううん!」

「何でもない//」ブンブン

 


「………そう」

 


その言葉に、興味はない。

 

聞こえてたクセに。

 


「それより」

 


「?」

 


「暑苦しいですわ」ギロリ

 


柱にぶつかりそうになった私を、とっさに自分の方へ引き寄せたワイス。

 

気付けば私は、ずっとそのまま。

 

ワイスにくっついたまま、歩いていた。

 


「え~、そんなこと言わずにさぁ…」

 

「もっとこうしていようよ~」スリスリ

 


「……」

 


「ワイス、大好き~」スリスリ

 


パシッ

 


「あっ……」

 


腕に添えていた手は、まるで虫でも追い払うように叩かれる。

 

痛くはないけど、反射的に叩かれた手をもう片方の手で覆ってしまう。

 


「暑苦しいと言ったはずです」


「さっさと離れなさい」

 


「……ご、ごめんワイス」

 


「それに、公共の場ではそのような発言は控えなさいと言いましたわよね?」

 


「……うん」

 


「おバカな行動・言動、腹立たしいですわよ」

 


「……ッ」

 


冷たい。

 

いや、もっと上。

 

絶対零度の視線。

 

氷柱が突き刺さったように、私の心臓が冷たくズキズキと悲鳴をあげる。

 


「……ご、ごめんなさい」


「……ワイス」シュン

 


「全く…」カツカツ

 


氷点下が背を向けて、歩きだす。

 

また、やっちゃった。

 

もう何度目?

 

覚えてない。

 


「……」シュン

 


「………」ピタリ

 


「愛情表現は」


「二人だけの時になさい」

 


「!」


「……」パァッ

 


振り向いた瞳が、氷柱をも溶かす。

 

もう、何度目かな。

 


「うん!」

 


「ほら、さっさと行きますわよ」

 


離れていく、軍服の白。

 

靡く白。

 


(……)


(……………////)

 


絶対零度も、春の兆しも。

 

私にとって、全てが心地良い。

 

私だけに刺す、あの眼差し。

 

何度も何度も、見たくなる。

 


「……ワイス///」

 


幸せ。

 


 


「よっ、お二人さん」

 


「今日は二人でお買い物かしら?」

 


「あっ、お姉ちゃん、ブレイク!」

 


ブンブンブン、蜂が飛ぶ。

 

バンブルビーの名コンビ。

 

偶然出会った二人は、同じチームのブレイクとヤンお姉ちゃんだ。

 


「お二人こそ、何をしていらしたの?」

 


少し遅れて私の背後から現れたワイスが、二人に尋ねる。

 


「新しい本を買いに行っていたのよ」スッ

 


「んで、私はその付き添い」トン

 


分厚い童話を嬉しそうに見せるブレイク、そしてお姉ちゃんはその肩に手を置いてニカリ笑う。

 

この二人は、相も変わらず仲が良い。

 

外見的にもイケてる二人は、戦いでも圧倒的なコンビネーションを見せつける。

 

勿論、私とワイスの方がスゴいけど。

 


「そうですの」

 


「聞いてきた割に、興味なさそうだね」

 


「ま、実際そうですし」

 


「あんたねぇ…」ヤレヤレ

 


これも、いつもの会話。

 

だから、安心する。

 

ワイスはね、他に興味なんてないんだよ。

 


「それより、二人は何してたの?」

 


「少し用事がありましたの、今はその帰りですわ」

 


「それで、私の可愛い可愛い妹が使いっぱしりになってたわけ?」

 


「人聞きの悪い」

 

「ただ単純に、二人で買い物していただけですわ」スン

 


「ホントかなぁ?」ジト

 


見て分かる程にわざとらしく、お姉ちゃんは腕を組んで疑いの目を向けた。

 

ブレイクは、そんなお姉ちゃんを見てる。

 

ワイスのこと、もっと信用して欲しいな。

 


「なーんか最近さぁ…」


「ワイスと居るルビーが、前にも増して大人しいって言うかー」

 


「…何が言いたいんですの?」

 


「あんた、私達が見てない所でルビーにめちゃくちゃ厳しくしてんじゃないの?」

 


「………」

 


「流石に、それはないと思うけど」

 


苦笑いをしながら、ブレイクが少し割り込む。

 

流れからして、誰もがこの後の展開を予想出来るが故にだ。

 


「そんな事、1ミリ足りともありませんわ」

 


「ふーん」

 


「というよりも、ルビーの事を思うなら多少厳しい方が宜しいのではなくて?」ニヤリ

 


「どういう意味?」ジトー

 


「貴女達二人は、ルビーに甘過ぎます」

 


(……///)

 


私の名前。

 

氷河に刻まれている、その言葉。

 

それが読まれる度、私は熱くなりだした頬を靡く軍服に隠す。

 


「特にブレイク」

 


「えっ、わたし?」

 


「貴女"前にも増して"、ルビーに甘くなりましたわよね」

 


「そうかな…?」

 


「えぇ、最初はそこの"お姉様"だけがルビーを溺愛しているようでしたが……」

 

「最近は貴女も、ルビーの行動・言動に甘々デレデレ……」

 

「この間も、課題を写させてあげたようですわね」

 


私の心臓が、ドキリと一回。

 

腰に手を当て、高いはずの身長すら無視しワイスは見下す。

 


「そ、それは……」

 


(…ていうかお姉様って私のこと?)ジト

 


「そんなだからルビーはいつまで経ってもチームリーダーとは思えないようなどこまでも軽率で無鉄砲でお子ちゃまな、おバカさんなのですわよ」

 


「ちょっと、そんな言い方はないんじゃない?」

 


「あら、事実じゃございませんこと?」

 

「本来であれば皆を引っ張るリーダーが、チームメンバーに甘やかされている元気だけが取り柄のダメリーダーなんて聞いたことないですわ」ニヤ

 


「それ以上言うと、本気で殴るよ……」

 


「やってみなさい」

 


「ちょ、ちょっとヤン……」

 


(………)

 


ワイスの言葉に、お姉ちゃんの瞳が一瞬だけ赤くなる。

 

文字通りヒートアップする会話に、牽制を試みるブレイクは皮肉にもレフェリーにしかなっていない。

 

そして当の私は。

 


(……ワイスが私の話題に燃え始めた)


(………そろそろ、かな)

 


「わーん、ブレイク~」ダキッ

 


「「?!」」

 

「………」

 


同じ黒髪。

 

リボンが驚きでビクリと跳ねる。

 


「る、ルビー…?」

 


「そうなの、ワイスったら……最近私にすっごく厳しいんだよ!!」

 


「…………」

 


ヤンお姉ちゃんも、突然の事に言い合いが中止され私を見る。

 

だが、終始。

 

突発的な行動にも、驚くことなく。

 

いやむしろ、呆れたように。

 

ワイスだけが私の行動に、眉をゆっくりと潜めはじめていた。

 


「ほら、やっぱりルビーのことイジメてたんじゃん!」キッ

 


「………」


「………」バッ

 


「きゃ…!」

 


目の前から消えたみたく、二人に目も暮れず歩きだす。

 

私の赤い頭巾をがっしり掴んで。

 


「あ、ちょっと!」

 

「ワイス、逃げるき?!!」

 


「愚痴も拳も、後でたっぷりと聞いてあげますわ」

 

「だから今ここは、少々見逃して下さいまし」

スタスタ

 


半ば唖然とする二人に、笑顔で手を振りながら。

 

ズルズルと、氷塊に連れられて。

 

これから起こる事柄に計算通りだと、私は悪い子供みたいに笑ってしまう。

 


 


賑やかな街の音が、薄暗い路地裏にその音色を籠らせた。

 

いきなり壁に押し付けられ、背後の痛みと体の快感に頬を染める。

 


「どういうおつもり、ですの?」ギロ

 


「え、えっと……何が?//」

 


「言ったはずですわよね?」

 

「"他の人間に抱き付くな"と」

 

「言葉も分かりませんこと?」

 


胸ぐらを掴む氷帝

 

その冷たく咎める眼差しに、全身が身震いする。

 

だって、ワイス。

 

今、私しか見てないんだもん。

 


「……///」ゾクゾク

 


「聞いてますの?」

 


「ううん//」フルフル

 


「………」

 

「……………そんなに」

 

 


我慢、できませんの?

 

 


「……」

 

「……えへへ///」

 


待ってたんだ、その言葉。

 

わざと、ワイスが嫌いな顔をして見せる。

 

口角を上げて、ヘラヘラと。

 


「うざったらしい……」パッ

 


胸ぐらを離されたのも刹那。

 


「きゃっ…」

 


右手首を捕まれ、壁に叩きつけると同時。

 


「んんぅっ……///」

 


「………」

 


「あ、んっ…う………////」

 


彼女の魅せる竜胆色の唇が、私のそれと重なりあっていた。

 


「んっっ…んぐっ、ぁ……/////」

 


冷たい。

 

涼しげな顔で熱く貪る彼女の舌が、私の奥底から這い出るような快感を促す。

 


「………」

 


「…ぷはっ//」


「はぁ、はぁ……」

 


ほんの数十秒。

 

忘れられた酸素を、反射的に流し込む。

 


「…はぁはぁ」

 


「…どうかしら」スチャ

 

「一方的に愛を押し付けられた気分は?」

 


「ぁ………////」

 


糸引く口元には目も暮れず。

 

外されたサングラスの向こうから、凍るように美しく鋭利な瞳が晒される。

 

蛇に睨まれた蛙の如く、私の体は完全に硬直して動かない。

 

瞳から目を反らすことも出来ず。

 

ただ眼前で見下ろす氷像に、恐怖と快楽で息を飲む。

 


「……もっと」

 

「して欲しいな……ワイス////」ニヘラ

 


「…………」

 

「これで何度目か、貴女は覚えていて?」

 


もう、何度目だろう。

 


「何度も何度も体に教え込ませているはずですのに、それでも尚飽きもせず……」

 

「貴女は私の手を煩わせますの?」

 


「………//」

 


あぁ、ズキズキズキズキ。

 

ドキドキドキドキ。

 

彼女は私しか見ていない。

 

私以外、目に映る存在なんていない。

 

低く威嚇するような声も、突き刺すような眼差しも、全て。

 

私にだけ、向けられているんだ。

 


「………え、えへへ/////」ニヘ

 


「………」

 

「まぁ、いいですわ」

 

「何度言っても分からないおバカさんは……」

ニヤリ

 

 


何度でも、粛清して差し上げますわ。

 

 


「んぐっ、んちゅ……ぁッ/////」

 


「………」フーフーッ

 


さっきとは、違う。

 


「ぁッ……んんっ、ぁん/////」

 


「………………」フーッフーッ

 


確かに、表情は変わらない。

 

だが目が、ゆらめらと燃えている。

 

一方的な愛は、フォークだってナイフだって使いやしない。

 


「ぁ、ぁ……ッんぅ///」

 


素手で、歯で。

 

千切って、掴んで、貪り食らう。

 


「………」

 


冷たい。

 

交わる舌が、そのままくっついてとれなくなる程に。

 

淫猥な水音が凝固する程に。

 

冷たくて、冷たくて、冷たくて。

 


(……あぁー……………////)

 


火傷しちゃいそう……。

 

でも、足りない。

 

もっと。

 

 

 

貴女の氷点下で、私を焼き焦がして。

 

 

 

ワイス。

 

 

「んぐ、ぁッん……///」

 


「………ン」スッ

 


「ん……ハぁッ///」

 


どれだけ時が凍っていたのか。

 

透明な橋が架かった途端、身体中の血液は一気に解凍し酸素を求めた。

 


「ぜぇ、はぁ……っはぁ//」

 


「………」ジッ

 


焼き蒸された体は、立っているのがやっとだと言うのに。

 

彼女、ワイスは平然とズレた制帽を直す。

 

あれだけ人をかき乱した人間とは、到底思えない。

 


「……少しは、反省したかしら?」ピッ

 


(……///)

 


口元を、親指で拭う。

 

その動作が本当に刺激的で。

 

ひたすら、見惚れる。

 


「………………フッ」

 


「?//」

 


「あぁあぁ……なんて、醜い顔」クイッ

 


「!///」


「わ、ワイス?//」

 


顎を持ち上げられ現れた顔は、歯を見せてイタズラに笑っていた。

 


「貴女、今自分がどのような顔をしているかお分かり?」

 

「チームRWBYのリーダーとは思えない、情けない赴きですわ」

 


「………」ペタッ

 


自分の口元に震える手で触れる。

 

口角が、上がりっぱなしだ。

 

荒い息が、熱い。

 


(ワイスの言った通りだ、私………)

 


きっと私は現在。

 

一人の女性として、してはいけない。

 

とても恍惚で、淫らな顔をしているのだろう。

 


「ルビー」

 


名前を呼ぶ唇が、いやに妖艶だ。

 


「貴女は、私の"物"」

 

「その体温、白い肌、魅力的な口元、私を映す銀色の美しい瞳……」

 

「……全て、私の大切な物」

 


冷たい指先が、私の頬を優しく這う。

 

対称的に、その目は笑っていなかった。

 

嫉妬、不安、庇護欲、優越、愛。

 

ごった煮で、どれが正解かなんて分からない。

 


「だから、その顔も私だけが大切に保管してあげますわ」

 

「貴女が私の言うことを聞けないのなら、私の手を煩わせると言うのなら……」

 

 

 


また私が、粛清して差し上げますわ。

 


おバカさん。

 

 

 


「…ッ!//」

 


その時見せた笑みは、ほんのりと温かく。

 

妙な安心感と興奮がゆっくりと漏れ出すような、そんな感覚がした。

 


「……………」

 

「……………………………////」

 


嗚呼。

 

やっぱり私は、囚われの身。

 

赤く腫れ上がる程に冷たい鎖、狭い狭い鳥籠は立つことも許されず。

 

貴女が常に目を光らせ、ひたすら与えられた愛に胸焦がす。

 


「…………はい/////」

 

 

抵抗なんてない。

 

 

それが、何よりも嬉しいの。

 

 

ねぇ、だから。

 

 

貴女もずっと。

 

 

私に囚われて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ワイス///」

 

                                              完

【DQXss】多忙とコンシェルジュ

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プライベートコンシェルジュ

 

本来宿屋にて宿屋協会より配備されているコンシェルジュは、様々な冒険者にとってなくてはならない職業。

 

私達プライベートコンシェルジュは、そんな大勢の冒険者を相手にする通常のコンシェルジュとは違い。


一人の冒険者に仕え、コンシェルジュの機能をご自身の家でご利用頂く為に存在する。

 

勿論のことだが家事、掃除もプライベートコンシェルジュにとっては大事な仕事の一つ。


つまるところ私達プライベートコンシェルジュとは、所謂『メイド』のような者なのだ。

 

 

「ここが、冒険者様のお家…」

 

暑い日差しが、このプライベートコンシェルジュ用制服の内を汗ばませる。


オーガ族の特徴である肩の角は、特に太陽の暑さを直にジリジリと痛む。

 

「ここが…お、お家?」

 

折り目の付いた地図をもう一度よく見てみるも、やはり間違い等なく。

 

ただ地図は汗だけを吸収し、端の方を滲ませる。

 

「井戸にしか、見えないのですが…」


「ほ、本当にここで合っているのでしょうか」

 

私の眼前に現れたのは、見上げる程大きな屋敷でもなければ。


かといって小ぢんまりとした小屋ですらなく。

 

それを人が名をつけて呼んでいるなら、それは間違いなく井戸。

 

狭い土地の中心に少しばかり装飾のあるそれが、ふんぞり反って私を見つめる。

 

「…」


「とりあえず、入ってみましょう」

 

「…って、あれ?」

 

降りられそうな紐も梯子もなきそれは、私の覚悟を先に落とさせる。

 

「…これは」


「落ちろ…という事でしょうか?」

 

底は見えない。


けれど、嫌になるほどに。


明るいのだ。

 

「…」


「…ふぅ」

 

ここまで来た。


ここで帰ってしまえば、簡単だ。


だがそれでは、私はなんの為に努力を重ねてきたのかという疑問に答えを出せなくなる。

 

 

「ええい、ままよ!!」

 

 

むしろ、清々しかった。


理由はない。


ただ、吸い込まれるように私は。

 

「って、きゃあ…!」

 

光の中に、落ちていく。

 


 


「…」

「ハッ…!」


「ここは…」キョロキョロ

 

眩しさに刹那閉じた瞳は、きっと今頃後悔の念に駆られていることだろう。


次の瞬間、私は光の差す場所で瞳を開けていたのだから。

 

「明るい…?」

 

見た景色は真実で、けれどそれは信憑性には欠けている。


矛盾を頭は認識出来ない。


何故なら、今私の周りに広がる景色は。

 

「窓…?」

 

窓は外の景色を透過する。


一般的常識の、固定概念。


しかし、それは地上であるが故の事実であり、光は太陽が昇るからだ。

 

私がいる筈は、地中。

 

地中とは、陽の届かぬ場所だ。


入り口と、この場所を除けば。

 

「もしかして、天…国……」サァ

 

赤い肌の私が、顔青ざめる時。


果たして魔族に近い色になるのだろうか。

 

「そ、そんな…」


「私は、これからプライベートコンシェルジュとして…」

 

震える体に揺さぶられた脳は、あらゆる過去を呼び覚ます。


楽しかった記憶。


苦しかった記憶。


井戸にみずから落ちた記憶。

 

「違うよ」

 

という記憶。

 

ん?

 

いや、そんな記憶はない。

 

ならばその声は。

 

「!」

 

「こんにちは、

          プライベートコンシェルジュさん」

 

 

心から安堵した。

 

何処の記憶にも居なかった、真新しい少女の声と形が。

 

私の生存を。

 

痛い程に、突きつける。

 

「貴女は…」

 

「ふふっ、驚いたかい?」


「井戸の中にこんな部屋があるなんて」

 

「…」

 

均一に、直線のようなトーンをした少女は。


黒ベースに金の差し色が施された衣服に身を包み、服と同じ配色のバイザーで表情の½を隠している。

 


脳よりも早く、体は理解した。

 


「初めまして、シンユウ様!」ペコリ

 


彼女が、雇い主であると。

 


「この度は、我がプライベートコンシェルジュ機能より、私を選んで頂き!」

「誠にありがとうございます!」

 

「ふふっ」

 

雇い主様は、直線的に喉を鳴らす。


近づく足音は、床とヒールの織り成すクラシック。

 

「君のお名前を、聞いてもいいかい?」

 

「はい、私は」

 

名前とは、親から始めに「貰う」もの。


名は、体を表す。


名は、私を示す。

 

名を教えるとは、存在の証明。

 

「シャキュ…」


「シャキュ・アーダーと言います」

 

時にプライベートコンシェルジュとは、雇い主の「物」でなくてはならない。


無機物に名前を付けることを、人は咎めない。


本来ある無機物の名前とは、存在の一確認でしかないのだから。

 

「お気に召さない場合は、変えて頂いても構いません」

 

だから私達は雇い主の赴く名に、自身の存在を認めなければならない。

 

「いや、遠慮しておくよ」


「…それは、君の名前だ」

 

「…!」

「あ、ありがとうございます」

 

その言葉は、何故か外の日差しよりも熱く。


その時から、私の何かは溶けだしていたのかもしれない。

 

「それじゃあ今度は私が…とっ」

 

「?」

 

「流石にこれを着けたまま挨拶をするのは、失礼だよね」スッ

 

言うと、少女は出会いから着けていた黒いバイザーに手を掛け。


ゆっくりと、目線を晒していく。

 

「…!」

 

ただ、目を見張る。

 

現れたそれは、瞳と言うには申し訳ない程に美しく。

 

透き通るシーグリーンの宝石が、私の脳裏を焼き付ける。

 

「はじめまして」

「私がこの家の主であり、そして君の雇い主」


「シンユウ・フォーロン、といいます」

 

紳士的なお辞儀が直線的トーンと、その整った容姿に良く似合う。

 

「よろしく、シャキュ」ニコ

 

それでいて微笑む彼女は実に艶やかで、淑女的な印象を醸し出していた。

 

「は、はい!」ビシッ

「よろしくお願いいたしますシンユウ様!」

 

人間である筈なのに、何処か人らしからぬ奇怪的とも言える不透明さ。


それは私の鼓動を加速させるのに、十二分過ぎる加熱材だ。

 

「…」

 

「?」

「どうかされましたか、シンユウ様?」

 

「いや、申し訳ないのだが」

 

宝石が、光もろとも閉じ込められる。


再び装着された黒いバイザーが、私を見つめた。

 

「名前で呼ばれるのは、あまり馴れていなくてね」


「出来れば、他の呼び方で頼むよ」

 

辛うじて見える眉が、申し訳なさそうに瞳に変わって表情を作る。

 

「承知致しました」


「…では、主様と呼ぶのは如何でしょう?」

 

「……主」

 

「えっ?」

 

唐突な漢字一文字は、私から吐息のような薄い驚きを溢させる。

 

「私のことは、主(あるじ)、と呼んでくれ」

 

「…」

 

それが、未来永劫仕える限り私が呼ぶこととなる彼女の名。


取っ払い過ぎない、雇い主と仕える者の関係性。


しかし、遠さを感じない距離感。

 

今の私と彼女の距離と、良く似ている。

 

「承知致しました、主」

 

「ふふっ」

 

喉で笑う彼女は、バイザーの裏でどんな風に瞳を細めているのだろう。


何故こうも、悲しげなのだろう。

 

全てを知り、全てに諦めという感情を抱いたような。

 

そんな、辿り着くことの出来なかった悲しみを。

 

「今しがた君は此処へ来た」


「となればまずは、この室内をじっくり見てみるのが良いだろう」

 

「ありがとうございます、ではお言葉に甘えて」

 

ゆっくりと、足音は奏でられる。

 

入り口付近から、ようやく私は足を動かした。

 

そして、そのまま引かれるように。

 

歩みは窓前で立ち止まる。

 

「…!」


「…綺麗」

 

やはり、そこは井戸の中とは思えない豊かな草原を透かしていた。


風に揺れる花々には蜂が蜜を運び。


木漏れ日の下で、鳥々は楽しそうに談笑している。

 

「不思議だろう?」

 

「はい…」

 

「ふふっ」

 

彼女の話によると、どうやらこの部屋は地中にはないらしい。


井戸の入り口と出口には、それぞれ【旅の扉】と呼ばれる【時空間移動魔法】が結界として張られているようだ。


つまり今私がいる場所は、入り口とは異なるどこか。

 

「ただ、この地が何処かは私もよく分からないのだが…ね」ニガワライ

 

「と、申されますと?」

 

「部屋の外は、アストルティアではない可能性がある」

 

悲しいかな。

 

広がる景色は、観賞用。

 

知りたくも、外にでる扉はない。

 

「長い旅の中、いつかこの景色を歩いてみたいものだよ」

 

気付けば共に日に照らされる彼女のバイザーが、ギラリと反射した。

 

「その時は、私はこの部屋から手をふりますね」

 

「ふふっ、それは良いね」ニコリ

 

「フフッ」

 


 


「それじゃあ、行ってくるね」

 

「はい」

「行ってらっしゃいませ、主」

 

学校にて習った会釈。


練習ではないという事実が、どうしても私の口角を上げてしまう。

 

「あぁ」

 

「あっ、主」

「お忘れ物はございませんか?」

 

「ないよ」

 

「ドルセリンとまほうのせいすいはある程度の数をお入れになられましたか?」

 

「入れたよ」

 

「そうですか、なら良かったです」

 

 

「…ふふっ」

 

「?」

 

安堵に胸を撫で下ろす私に、手を口元に置く主は笑う。


笑う理由に疑問を浮かべる表情に、質問を見出だした主は言った。

 

「君は、心配性のようだね」

 

「す、すみません…」

 

「謝る必要はない」

 

優しい声が、今度は私を褒める。

 

「主の万全を思う心は、正にプライベートコンシェルジュとして必要不可欠事項だ」

 

君は、やはり良いね。

 

「…」

「あ、ありがとう…ございます//」

 

言葉は空気から伝わる振動で、それその物は実体なんて持たない。

 

だが、主の言葉は私に触れる。

 

心に、その神髄に。

 


「では、そろそろ…」


「…いや待てよ」

 

「?」

 

「ふふっ、すまないシャキュ」

 

出口から離れ、私に近づく。

 

「一つだけ、忘れ事をしていた」

 

「忘れ…事?」

 

物体ではなく、行為を忘れたという言葉の意味だと受けとる。

 

「シャキュ、少ししゃがんでくれるかい?」

 

「承知しました」スッ

 

命に従い、主に目線を合わせる。


いや、この場合合わせているそれは。


なんなのだろう。

 

「…」ナデナデ

 

「!?///」

 

優しい突然は、私にハンマーで叩くような衝撃を与える。


何をされているか、脳は理解する。


だが、真意は見抜けない。

 

「あ、あの…主?///」

 

ただ、微笑む彼女が。

 

私の頭を、ゆっくりと温かな手のひらを往復させる。

 

命に従い跪き。


雇い主に頭を撫でてもらっている私は。


さながら愛でられる、ペットと同等だろう。

 

あぁ、なんて幸せなのだろう。

 

「プライベートコンシェルジュを雇う者の間では…」

 

主がゆっくりと理由を語る。

 

「出掛ける前に、自身のコンシェルジュとスキンシップをとるのが流行っているらしいのだ」

 

「な、なるほど」

 

「だから、私もやってみたくなった」ナデナデ

 

「…//」

 

「…嫌、だったかい?」

 

「いえ、むしろ幸せです」

 

「ふふっ、なら良かった」

 

こうして同じ目線に立つと。


笑う唇が、よく見える。

 

「…では、そろそろ出発するよ」

 

「行ってらっしゃいませ、主」

 

「うん」

 

躊躇なく飛び込んだ彼女は、光の中へ消えていった。

 

「…」

 

「…///」

 

ただただ、私は。

 

頭に手を置き、彼女の温もりを感じていた。

 

 


 

「…」テクテク

 

「おはようございます、主」

 

井戸の中に居る事を忘れさせるように日は沈み、そしてまた陽は上る。


どことも分からぬその場所は、太陽と月の概念を証明した。

 

「…」

 

「…主?」

 

宇宙を廻る太陽を表として、月は裏。


それは、なにも天体だけにとどまらない。

 

「今、なんと言った…?」

 

「…え?」


「えっと…その……」

 

人は、常に表裏一体。


照らす表、照らされる裏。

 

「お、おはようございます…」

 

「そのちょっと後!」

 

「あ、主…」

 

「そう、それだ!!」ビシッ

 

「!?」

 

バイザーを着けていないシーグリーンの瞳が、私を睨む。


貫くように差される指が、私をメダパニにかけるように混乱させた。

 

 

彼女は、誰?

 

 

常識的ではない疑問を持ったと、自分自身よく分かっている。


だがそれは、主そっくりの容姿で。


別の何かとしか、認識出来なかった。

 

「貴様、雇い主に向かって【主】とは頭が高いぞ!!」

 

「えっ、あ…あの……主?」

 

「様、をつけろ!!」

 

「は、はぃ…!」

「主様…!!」

 

何もかも、理解が及ばぬは。

 

私の未熟さだと、神は嘲笑うだろうか。

 

「ふんっ、お前が昨日やって来たワタシの配下もといプライベートコンシェルジュだな」

 

「…はい」

 

「自己紹介が遅れたな!」バッ!

 

小柄な体が、その面積を広げた。


その姿、まるで威嚇するアリクイの如く。

 

「ワタシはお前の雇い主、そして…!」


「アンドロイドである、SIN-2521だっ!!」

 

「…………」

 

奇妙な井戸の家で、二回目となる主の自己紹介。


それは、世界でも例に見るはずのない現象で。


新たな出会いの始まりだ。

 

「し、SIN-……25………2……1?」

 

「うむ」

 

「そ、その」

「アンドロイドとは、どういう…」

 

眼前に起動するは、精巧に造られた超越技術のカラクリ少女。


だがそれは、カラクリと言うには鮮やか過ぎる程に滑らかで。

 

けれど人間と言うにはあまりにも奇怪的だった。

 

「そうだ!」


「ワタシは、所謂ロボットなのだ!!」


「凄いだろ?!」ピョンピョン

 

「で、ですが主…様は人間でしたよね?」

 

「いや、ロボットだ」

 

「それに、どうされたのですか…?」

 

奇妙な現象を受け入れることは、簡単だ。


しかし、人はそれを冷静とは呼ばず。

 

奇怪的現状に疑問を持つ事が、オーバーヒートを起こした脳を冷ます近道だ。

 

「何か、悩み事でもあるのですか?」

 

「?」

「何がだ?」

 

「もしくはその……何処か、気に触ってしまう事をしてしまったでしょうか」

 

目前の少女が私の問い掛けに、純粋な疑問符を浮かべている。


機械は、私の問いに対する答え方をラーニングされていないようだ。

 

「……」

 

「よくわからんが、ワタシは元気だ!」ドンッ

 

心臓に拳の振動を与えるそれは、彼女がメインデータより必死に模索した結果。

 

「あ、主」

 

「様をつけろ!!」ビシッ

 

「は、はい…!」

 

「主様…?」

 

「なんだ?」

 

それは地球が一周するよりも早く、間隔のない

デジャヴ。

 

「主様のお名前はシンユウ・フォーロン、でしたよね?」

 

赤い肌を透過する水滴はクールダウンを促さず。


地面に落ちて潤す毎に、奇怪な現象への早期解決を急かしてしまう。

 

「違う」


「何度も言わせるな」

 

自身を指差し名乗りを上げる彼女の光景は、あくまで2回目の講演会。

 

それを何度目とするならば、あくまでそれは2回目なのだ。

 

「ワタシの名前はSIN-2521だ!!」

 

「全く、アイツもとんだコンシェルジュを雇ったものだな」

 

「!」

 

本来の世界へと繋ぐ井戸の縁。


そこへ身体をもたれる彼女の言葉を、耳は聞き逃さない。

 

「アイツ……?」

 

昨夜まで確かに居たあの方が、眼前に居はするが明かな不信感を抱かせるこの方が。

 

「それは、シンユウ様の事ですか……!」

 

3D眼鏡を掛けることを前提とした絵のように、捉えていた彼女の輪郭がぼやけだす。


赤と青。


2つの絵は非常によく似ているが。

 

「……そうだな」ニヤリ

 

着色の施されたレンズを交互に通すことで、真実は浮き彫りとなる。

 

それが、彼女達だ。

 

「では、やはり貴女はシンユウ様ではなく別の方なのですね」

 

自分自身、もう何を言っているかなんてこの時は分かっていない。


だが、生物とは不思議なもので。


身の丈以上の情報を与えられた際は困惑というリソースを割き、的確な情報処理を第一に脳は動くのだ。

 

「ようやく理解したな!」ドンッ

 

「あ、あの…では、本来の主…様は何処に?」

 

「……」

「ま、詳しい事は明日分かるだろ」

 

「へ?」

「い、いえしかし…その」アセアセ

 

「甘いっ!!!」

 

「?!」ビクッ

 

やはり、多少は困惑にもリソースを割きたい。

 

しかし、それは辛い一喝で全てをシュレッダーにかけられた。

 

「例えるなら、孫に久しぶりに会えたお爺ちゃんくらい甘い!!」

 

「す……すみま、せん…………」

 

粉々の紙が舞う。

 

雪ならば、溶けるだろう。

 

残念だが、散るそれに冷気はない。

 

「…ふん」


まぁ、と一息。


「これから精々、このワタシの従者として共に過ごすが良いわ!!」

 

「ダッーハッハッハッ!!!」

 

その様まるで、戦場のヒロインの如く。


高らかに響くのは、奇怪に誤魔化すような渇いた笑い声だけ。

 

「分かったか?!」ビシッ

 

「……」

「は、はい主様」ペコリ

 

これから、よろしくお願いいたします。


なんて。


詳細も会話も、あれよあれよと水に流されてしまっていた。

 

「よしっ」

 

「……」

 

(主……)

 

違う人。

 

1日で変わってしまった。

 

悲観的な眼差し、全てに諦めを見出だしたような横顔は。

 

もう会えぬのだろうか。

 

―――

 

「さてと、じゃあそろそろ出かけるとしよう」

 

鞄に詰め込まれた、ごちゃごちゃのアイテム色。

 

背中に背負えるだけ背負った、武器の生け花。

 

「行ってらっしゃいませ……主………様」

 

同じ容姿、同じ声。


それ故に少しのズレがよく目立つ。

 

「……」

 

「あっ、あの…」

 

「なんだ?」

 

「忘れ物はありませんか?」


「ドルセリンや地図は鞄に入れましたか?」

 

違うとは言え、他人とは言いきれない奇怪性。


一人のコンシェルジュとして、冒険者様方の万全は欠かさない。

 

「さっきも聞いたぞ、その言葉」ジトー

 

「す、すみません」

 

「ふん、心配性だな…お前」

 

鼻で笑い一瞥した彼女は、外界へ通じる光の淵へヒョイと飛び乗る。

 

「………」

 

そして、ジッと光を見つめるのみ。


苦虫を噛み潰すようにしかめた顔を、照らす光に妙に煽られていた。

 

「あの、どうかされましたか?」

 

一歩、心配が近付く。

 

「わ、忘れてた……事があってな」ヒョイ

 

言うとそれは淵から降り、渇いて響く足裏を私に近付けてくる。

 

鞄を数歩の内に投げ捨てると。


金属や陶器、薬草に鈴、液体が狭い世界に項を描く音を出す。

 

「?」

 

忘れた"事"。

 

それは、物ではなく。

 

行動。

 

「少し、その……しゃがんでもらえるか?」

 

「へ?」

 

「いいからしゃがむ!」ビシッ

 

「は、はひぃ!」

 

「そんで膝立ち!!」

 

「は、はい!!」スッ

 

勿論、理由を聞く隙など与えられるはずもない。

 

言われるまま純白の床に膝を付けると、反射する私の顔が助けを求めているようだった。

 

 

だが、それと同時。

 

晒されたままのシーグリーンが魅せた濁りに、永久を望んでしまう。

 

「あ、あの………主様?」

 

「……」スーハー

 

「?」

 

一呼吸の間。

 

 


「一体、何をするおつもッ…」


「……」ギュッ

 

 

 

 

 

 

「へ?///」

「あ、あの……………これは//」

 

突然感じた衝撃。


紛れもない、人肌の温もり。

 

駆動音よりも先に、鼓動音が耳に響く。

 

首に手刀を与えられた瞬間のような、白紙の頭とボヤける視界。

 

「あ、主さ………」


「…ッ!」

 

それでも、何をすべきかすら明確で。

 

変わらぬものに安堵して。

 

 

「………」

 

 

「」

 

 

ギュッ

 

 

「!//」

 

 

そっと、抱き締め返す。

 

「………////」キュ

 

「………」

 

私が見下ろす背丈の少女が、赤く包まれる。

 

簡単に潰れてしまうだろう華奢な体から、確かに伝わる同じ感触。


匂い。


熱。


そして……………。

 

 

「ありがと……//」ボソッ

 

「―いえ」

 

それは故障か不具合か。

 

少女がどんどんと小さくなっていく、そんな感覚すら覚えてしまう。


電波が悪いラジオのような、微かな感謝。

 

「アイツは、お前の頭を撫でた」


「だからワタシは、その上をやってやりたかった……だけ」

 

 

「ただ、それだけ」

 

左耳、鼓膜を揺らす。


指で撫でるように燻る空気の振動に、私の血液が活発化する。

 

グツグツと。

 

「そう、でしたか」

 

「……だ、だが」

 

「?」

 

「嫌だったら、言ってくれ……」

 

「……!」

 


「…………」

 

 

そっと、バニラ色に温もりを乗せる。

 

「!//」

 

ゆっくりと、きめ細やかな髪を滑らせた。

 

「いいえ、嫌ではありません」


「むしろ、幸せです//」ナデナデ

 

「な、なら……良かった///」ギュッ

 

喜びに握られた制服が、より強くシワを作る。

 

じんわりと染み渡る汗が、ただ少女を残すように湿らせた。

 

 

 

 

「さ、さて!//」


「では、そろそろ出発するとしようぞ!」バッ

 

「あっ……」

 

言うと、恥ずかしさを隠すように妙な身振り手振りで私を離れる。


纏われた空気は動き、生ぬるい切なさが毛先を這う。

 

「じゃ、じゃあ…行ってくるぞ!!」シュタ

 

「行ってらっしゃいませ」

 

「………うん」

 

昨日に同じ底の見えない光、黒い布地は少しの笑みとともに吸い込まれた。

 

 


「……」

 


嵐は突然に現れて、情緒も何もかっさらい。

 

残る熱さと甘い香りは、静寂から醒まさせない。

 


「……主様」

 

ゆっくりと、両手を絡ます。

 

 

 

変わってなど、いない。

 

機械を名乗る、破天荒な奇怪少女は偽り。


理由は分からない。

 

だが彼女が何かを思い、道化を演じていることは確かな真実。

 

「……」

 

あの時。

 

『一体、何をするおつもッ…』


『……』ギュッ

 

 

私を包んだ大きな態度は。

 

 

『あ、主さ………』


『……ッ!』

 

 

 

小さく、震えていた。

 

 

 


『……ごめん』

 

吐息に等しい謝罪の言葉。


止まった空気の微弱な振動を、言葉として辛うじて受け取る。

 


これが、本当の主様。

 


同じ目線に立ったあの時、濁った瞳が諦めと虚無感に億劫を見出だしていた。

 

それは、紛れもない……。

 

彼女の面影。

 

いや、彼女そのものだった。

 

 

酷く怯えた両手は、抱き締めた私の服を一心に握りしめる。


絶対に離さんと。

 

誰かに受け止めて欲しいと。

 

自分自身に、意味を与えて欲しいと。

 

 

掌の震え、それが全てを物語る。

 

だから私も、強く抱き締め返した。

 

 

それは、母性にも似た何かだろうか。

 

ただ、愛おしくて。

 

受け止めて、守って。

 

光を反射しない瞳に。

 

 

 

 

 

胸を高鳴らせる。

 


 


明るい井戸の底。

 

窓から見える地上に、また日が昇る。

 

「……」テクテク

 

「おはようございます、"主様"」

 

「…………」

 

「主……様?」

 

階段に鳴くヒール音。

 

コツコツと、日照りに晒される黒いバイザーが微かに私を反射する。

 

 

「"様"は付けなくて良いと、言ったはずだよ」

 

「…!」


「あ、主……!」

 

「おはよう、シャキュ」

 

そっと微笑む貴女は、もう一人の雇い主。

 

何処か人らしからぬ佇まい、私を見詰める瞳は何色だろう。

 

「お、おはようございます主」ペコリ

 

「申し訳ございません」


「その、昨日の今日なので……つい」

 

それが夢か現実か。


ハッキリと感じる体温も、手触りも、全てが夢の魅せたイタズラだとして。

 

誰が私を信じられるだろう。

 

「フフッ、さっきのはほんの冗談だよ」


「なに、気にすることはない」

 

「……は、はい」

 

直線的で均一のトーンは久しく。


ピンと張られた糸をそっと撫でるように。


鼓膜に響く声は私の中で振り幅を広げ、大きく波打つのだ。

 

 

「あ、あの……それで」

 

「?」

 

「一体、誰なのでしょうか?」

 

疑問の歯車。

 

「そうだね……どう説明したら良いものか」

 

顎に手をやり、言葉に出来ない奇怪な存在を言葉で肉付ける。

 

 

 

「強いて言うのなら、彼女はもう1つの私……かな」

 

 

 

夢は現だと。

 

主の一言が、私の正常を証明する。

 

あれは、夢ではなく現実だと。

 

「つまり、二重人格……ということですか?」

 

「……」

 

フム、とバイザーに宛がわれた金の装飾が朝日を写す。

 

「そんなに、大層な物ではないよ」


「二重人格を例えるなら、

"種類バラバラな硬貨の寄せ集め"」

 

おもむろに手を一振りすると、何処からともなく指の間に大小十色の硬貨が現れた。

 

次に一振りすると、二枚の同硬貨にすり替わり。

 

「だが私達は、

"面の揃った同硬貨2枚"だ」


「大きさに色、付いた傷まで完全に一致しているがっ……」シュッ

 

「!」

 

滑らかなスナップでコインは放たれ、構えた赤い手の平に投げ込まれる。

 

金色の金属が、数ミリたがわない溝と歪みに一点の誤りを目立たす。

 

「これは…」


「製造日だけが、微妙に違いますね」

 

「そう」

誕生した日にちの違い、それがたった1つ刻まれた私達の違い」

 

円を反るように彫られた製造年代のレリーフが、パッと見で4〜5年程ズレている。

 

たった1つの違いだが。


生誕時期の違いとなれば、事は一大事だ。

 

「なるほど……」


(…………)

 

目の前に広がる黒光り。


それは卵の殻なのか、あるいは卵の黄身なのか。

 

「…………」

 

 

 

 


「今なら、辞めても良いよ」

 

「…………へ?」

 

突然繋がりの無い言葉が鼓膜を霞め、私は間の抜けた反応をするしかない。

 

辞める。

 

それは。

 

「あの、それは……どういった意味なのでしょうか?」

 

「そのままの意味さ」

 

フッと見せた横顔が、寂しさを笑みのパテで埋めている。

 

美しさに疑問だけが渦巻く。

 

「今まで私達は数人のプライベートコンシェルジュを雇ってきたが………」


「皆、私達を軽蔑して離れていったよ」

 

 

「……ッ」

 

 

「だから、もし私達を気色悪いと思ったのなら遠慮なく帰ってもらッ…」


「いやです!」

 

「ッ!」

 

脳が考えた行動と言動は、私が許可を出すまでもなく実行されていた。

 

白く濁りのない、か弱い両手。

 

しかし、私の手で包んだそれは確かに生きていて。

 

ほんのりと、温かい。

 

「私は、貴女様のお側に居たい」

 

目を合わせても、ただ黒塗りが私を写すだけ。

 

それでも、半分だけ露出した表情が呆気に取られていることは理解できた。

 

「プライベートコンシェルジュとして、貴女の………貴女の人生を、サポートしたい」

 

「…シャキュ」

 

均一な発声、温かな熱、その瞳。

 

これはきっと、私の粗末な感情。

 

ただのお手伝いが抱いてしまった、一目惚れ。

 

言葉に出せないこの劣情を、貴女が許してくださるのなら。

 

 

「だからどうか、どうかお願いです」

 

 

 

 

女方のお側に、この私を置かせて下さい。

 

「…………」

 

「…………………フッ」ギュッ

 

「!//」

 

鼻鳴らした笑い声、気づけば赤い両手は白く包まれている。

 

「…ありがとう」

 

「ッ…」

 

私を見上げた笑顔。

 

それは、どうしようもなく幼くて。

 

その一瞬だけボヤけていた輪郭が、ピッタリと合わさったように感じた。

 

 


鼓動が言葉を糧として、嬉しさに素早く唸りをあげる。

 

噛み締める唇が、ピリピリとくすぐったい。

 

 


「………フフッ」

 

「主?」

 

「あぁ、すまない」


「サイボーグからの御言葉だ」

 


『全く、お前もとんだ"多忙"と暮らすハメになってしまったなぁ!』


『ダッーハッハッハッ!!!』

 

「だ、そうだよ」

 

「あはは……」

 

本人さながらの声色と仕草に、言葉への反応を含め私は苦笑する。


恐らく瞳もソックリなのだろうが、そこだけは辛うじて差別化せざるをえなかったのだろう。

 

ある意味で、ソレは目印なのかもしれない。

 

(だから主は、あの時……)

 

 

「どうかしたかい?」

 

「い、いえ……なんでもないです」

 

 

言うと、彼女はまた鼻で笑う。

 

実に、人らしく。

 

 

「では、改めて」

 

 

紳士的なお辞儀が直線的トーンと、その整った容姿に良く似合う。

 

 

「これから、どうぞ宜しく」

『これから、せいぜい宜しくな』


『「シャキュ」』ニコ

 

 

それでいて微笑む彼女は実に艶やかで、淑女的な印象を醸し出していた。

 

どこか感じる奇怪的な金属感も、私が共に暮らす事を歓迎し迎え入れる。

 

 

プライベートコンシェルジュは本来、一人の雇い主に一人だけ。

 

そんな常識も、現実感も。

 

日の昇る井戸底では、意味を成さない。

 

 

「はい!」

 

 

二つの表裏。

 

瞳を隠す、人らしからぬ振る舞いは奇怪的。

 

瞳は輝く、機械的な振る舞いは実に人らしく。

 

 

「これから、どうぞ宜しくお願い致します」

 

「主、主様!」ニコリ

 

 

これが"多忙とコンシェルジュ"の出会い。

 

 

 

 


あぁ…もし神と呼べる者がいるのなら。

 

 

お許し下さい、生涯一度だけ願うこの我儘を。

 

 

 

 


願わくは。

 

彼女達と笑い合える日々を、未来永劫に。

 

                                        【完】

【ウマ娘(オグテイ.テイオグ)】二つ蜜

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「ほわぁ~、広~い!!」

 

「ね、見て見て!」

「スッゴく大きい!」

 

「あぁ、そうだな」

 

眼前の少女が目をキラキラさせながら、私の方を振り向いてくる。


容姿も相まってか、はしゃぐ様子が小さな子供のようでとても可愛い。

 

「あ、そっか…」


「オグリは一度、ここに来てるんだよね…」

 

「…そうだな」

 

さっきと一変、今度はまるで様々な経験をしてきた女性のように儚げで、大人びていた。

 

「って、そんなこと今はどうでも良いよね!」


「さ、行こ!オグリ!」

 

「あ、あぁ…うん」

 

少々無理に造られた笑顔に引っ張られ、私達はスケート場へと入って行く。

 

(久しぶりだな、ここに来るのは…)

 

思い出せば最近、しかし実際には数年前の出来事。


一人のウマ娘と共に、私はここに一度来ていた。

 

「う~ん」

 

「どうしたんだ、テイオー?」

 

「スケートシューズってどんな感じに履いたら良いのか分からなくて」

 

「なんだ、そんな事か」


「ほら、私がやってあげよう」スッ

 

「ホント?」

 

「脚を出して」

 

「うん」

 

懐かしい、という感覚なのだろうか。


少女にスケートシューズを履かせ、紐を手際良く結んでいく。

 

彼女がやっていたのと、同じように。

 

『どうしたんだい、オグリ?』

 

『あ、あぁ…いや』


『スケートシューズを履くのは初めてでな、

その…履き方が良く分からない』

 

『あははっ、なんだそんな事か♪』


『ほら、私がやってあげるよ』

 

『す、すまない//』

 

まさか、私が彼女と同じ側になるとはな。

 

「出来たぞ」

 

「ホントだ!」

「ありがと、オグリ//」ニカッ

 

「なに、大した事じゃない」

 

笑顔でお礼を述べる君が眩しい。


本当に大した事ではないのに、そんなにも良い笑顔を、可愛い笑顔を受け取ってしまって。


良いのだろうか。

 

「行こうか、テイオー」スッ

 

「うん!」

 

私は椅子に座る少女に手を差し伸べ、体制を崩さぬようゆっくりと立ち上がらせる。


スケートリングへとエッジを下ろすと、金属と氷が入店の合図を鳴らした。

 

「あわわ!」

 

「っと、大丈夫かテイオー?」

 

「大丈夫、ちょっとコケちゃいそうになっただけだから」アハハ…


「それよりオグリ、ぜ…絶対に離さないでよ」

 

そう言って私の両手をギュッと握る少女は、堂々たるいつもの姿勢は何処にといった様子。


生まれたての小鹿みたいに脚をプルプルとへっぴり腰で、なんとか立っている。

 

「テイオー、もう少し背筋を伸ばさないとダメだぞ」

 

「そんなこと言ったって、ボクスケートするの初めてなんだもん!」

 

「だがそれでは、かえって滑られなくなるぞ」


「ほら、少しずつ背を伸ばすんだ」

 

私よりも幾分か温かい少女の手を握り返し、優しく諭す。


野生動物の警戒を解くように。

 

「こ、こう?」プルプル

 

「そうだ、ゆっくり…ゆっくりと、だ」ニコリ

 

「…///」

 

「?」

 

少女は顔を赤くし、目を反らす。


まだへっぴり腰の為強く握る手は汗ばむ事はなく、暑い訳ではない。

 

「どうした、テイオー?」

 

「いや、その…なんというか//」


「オグリの優しい教え方と顔が、凄くボクには照れくさいというか…///」

 

「なるほど…//」

 

赤い顔でそう告げる君に、私も伝染を起こして頬を染めた。

 

「そ、それで//」


「次は、どうすれば良いの?」

 

「えっと、そのまま…もう少し背を伸ばして」

 

場所は上々、だが今はバランスを保つ者と小鹿。


赤くなり続けるには少々無理がある。

 

「こ、こんな感じかな?」

 

「あぁ、良い感じだ」

 

ようやっとまともに氷上に立っていられるようになった少女は、私の言葉に得意気に笑う。

 

「よし、じゃあ次は滑る練習だ」


「まずはゆっくり足を開いて…」

 

「足を開いッあわわ!」スペペ

 

とすん、なんとか支えようとしたが無念。

 

「イテテ…」

 

「大丈夫か、テイオー?」

 

「むぅ~、ボクにはスケートは難しいよ…」

 

零度の地面にそのまま座り込み不貞腐れる少女から出るのは、白息ではなく悲観。


膨らませた頬が、タマの作るたこ焼きのように丸く艶やかだった。


そんな様子が幼児的で、可愛い。

 

「…なら、試しに私がお手本をみせるよ」ニコ

 

「オグリが!」キラキラ

 

たこ焼き弾けて出現したのは、タコではなくキラキラと期待に溢れた宝玉だった。


それは、私にとってこれ以上ないギャラリー。

 

「あぁ」ウナズキ


「…では、いくぞ」

 

額を軽く叩き、気合いを入れる。


いつものルーティンだ。

 

「…」スー

 

滑り出し、やがて風を感じ、空を廻る。

 

「ほわぁ…!」キラキラ

 

眼差しの声援に答えるべく、廻り廻り廻り、屋根で風受ける鶏のように。

 

冷気を、帯びて帯びて帯びて。

 

「…」ポーズ

 

零度の彫刻が完成した。

 

「ふぅ…」

 

いつの間にか増えていたギャラリーから拍手を受け、久しぶりに一呼吸。

 

(………)

 

私も決して、最初から滑る事が出来た訳ではない。

 

彼女に優しく、手取り足取り教えてもらった賜物だ。

 

『そう、ウマいぞ…オグリ』エや下

 

『ほ、本当か?//』

 

『勿論だ』


『君はやはり、物覚えが良い』ニコ

 

『そんなことはない、教え方が上手いからだ』

 

『あはは、ありがとう♪』

 

 

『…』

 

『どうした、オグリ?』

 

『いや、なんだ…やはりスケートは一筋縄ではいかないな……』


『どうしても、足を引っ張ってしまう…』ミミタレ

 

『…フッ』

『なんだ、そんな事か』

 

『?』

 

『私は、君に教える事を苦だとはひと摘まみも思っていない』

 

『!』

 

『それどころか私は君と滑る事が出来て、今…とても幸福だ//』ホホエミ

 

『…!///』

『そ、そうか////』

 

『…ありがとう』

 

『ルd※%#?&_』

 

 

「…リ?」

 

「オ………リ……………!」

 

「オグリってば!!」

 

「!」ハッ

 

愛おしい君の呼ぶ声で、ノイズ混じりの記憶はぶつ切りにされた。

 

「テイオー?」

 

声の主たる少女が、心配そうな瞳で私を見上げている。

 

「大丈夫?」


「ボーっと突っ立ったままだから心配しちゃったよ」

 

どうやら私は、過去の記憶に意識を取られていたらしい。

 

「すまない、大丈夫だ」

 

「そっか…良かった」ホホエミ

 

安否を聞くや否や笑みを浮かべる君の顔は、彼女の面影を感じる。

 

「それより、やっぱり凄いよオグリ!」


「シャーって滑って、ピョンで、クルクルーって!」


「すっごくカッコ良かったよ、オグリ!」

 

「そうか…ありがとう//」

 

わざわざ身振り手振りで熱弁する少女の半角声が、可愛らしく。


どうしても、私の心に熱を伝導させる。

 

「!」

「スケートしてる時のオグリ、まるでツルみたいだった!」ドヤッ

 

「?」

「ありがとう」

 

「…」

「スケートだけに!」ドヤッ

 

「…」

「…???」

 

「……………」

 

沈黙が私の何かが欠損していたことを知らせるが、分からない。


今の言葉に、一体どんな真意があるのか。


考えれば考える程、それを見る少女の瞳が冷たくなっていく。

 

「練習の続き、しよ」

 

「…そうだな」

 

 

「ふぅ~、楽しかった!」

 

摩擦の無い世界から出て踏みしめる地面は、何故だか少し違和感を感じる。


たった数時間の内に、足裏は当たり前を氷上に書き換えてしまったとでも言うのだろうか。

 

「今日だけであんなにも上達するなんて、凄いぞテイオー」ナデナデ

 

「あ、えへへ///」


「オグリの教えるのがウマいからだよ//」

 

あの後も続けた練習の成果は予想外で、少女は並みに滑る事が出来るようになった。

 

「この調子ならきっと、もっと上手くなるぞ」ニコ

 

「ボク、頑張る!」フンス

 

「あぁ、また来よう」

 

耳先含めても私に届かない少女。


並ぶ私達はどう見えるのだろう、姉妹か親子か。

 

「あ!」ダッ

 

「テイオー?」

 

放された手が、名残惜しさを覚える。


振り向く君に、伸ばす手を引いた。

 

「はちみー!」

「はちみー、発見だよ!」キラキラ

 

「はちみー…確かテイオーが好きな飲み物だったかな?」

 

少女が指差す先には、一台の移動販売車が甘い魅惑を売っていた。


のぼり旗にはドデカい文字で「はちみー」とプリントされている。

 

「はちみー、飲まずにはいられない!」ビシッ


「オグリ、はちみー一緒に飲もう!」

 

「そうだな」


「折角だから、ベンチで休憩がてら飲もう」

 

「よし、それじゃはちみー目指して出発!」ダッ

 

言うと、少女は凄まじい速さで向かっていく。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


「…!」

 

私が慌てて追いかける背中は、先程まで隣にいた可愛いらしい少女ではなく。


レースを走る、一人の競走馬だった。

 

「……ルナッ…」

 

思わずもれた、彼女の名前。

 

どこまでも、似ているんだ。

 

再び伸ばす手は、離れて行く彼女を掴むことは出来ない。

 

君じゃ、ないんだ。

 

「もう、遅いよオグリ!」プンスコ

 

「すまない」


「いや、テイオーが速すぎるんだ…」

 

「当たり前でしょ、はちみーはボクの命と言っても過言じゃないからね♪」

 

怒ったり、笑ったり。


コロコロと表示が変わる君が、きっと好きだ。

 

「はいこれ、オグリのね♪」

 

「ありがとう、テイオー//」

 

テイオー曰く、初心者オススメのスタンダードを選んでくれたらしいはちみー。


固め濃いめ多め、は私にはまだ早いとのことらしい。

 

「…命……か………」ジッ

 

「?」

 

食べ物を自身の心臓とすら思えるその心意気。

 

(素晴らしい…)シミジミ

 

「???」

 

 

「ん~!」

「遊んだ後のはちみー最高~!」

 

近くのベンチに腰下ろす私達、隣に座る少女が両手を掲げて叫んだ。


私でさえまだ引き出せない笑顔。


飲料に先越されてしまったことに悔しさを抱かない訳ではないが、この表情が見られるだけで今は幸せだ。

 

「ささ、オグリも飲んでみてよ!」

 

「あぁ」ウナズキ


「いただきます」ズズッ

 

「…美味しい」ボソリ

 

「でしょでしょ!」

 

蜂蜜の甘さが、花畑に吹く心地よい風のように口いっぱいに広がる。


だが、喉を通過する頃にはレモンの爽やかさが甘さを消し、くどさを無くす。


甘さを欲し、甘さを無くし、また甘さを欲する。


いつまでも味わっていたい、飽きさせることのない絶妙な甘美。

 

「なるほど…」

 

(テイオーが命だと言うのも頷ける美味しさだ)

 

「何度でも飲みたくなる美味しさだな」ズズッ

 

「えへへーん!」ドヤッ

「オグリ~、良く分かってるじゃ~ん♪」

 

なんて言いながら、肘で小突く君のイタズラな顔に思わず笑みがでる。

 

「…」

 

だけど。


こんなにも、はちみーが美味しいのは。

 

「…」ズズッ

 

「~♪」チュウチュウ

 

「…フッ」

 

きっと、君が最後の味付けを飾っているからだ。

 

「…」ズズッ

 

君は、最高のスパイスなのだろうな。

 

「…フフ」

「…」ズズッ

 

「…」


「ねぇ、オグリ」

 

「?」ズズッ

 

 

「…キス……しよ?//」

 

 

「?!!」ボハッ

「ゲホッ  ゲホッ」

 

静寂に訪れた爆弾は、爆風を巻き起こし私の器官に被害をもたらす。


鼻が蜂蜜畑だ。

 

「ちょ、ちょっと!」

「オグリ、大丈夫?」オロオロ

 

「あ、あぁ大丈夫だ…問題ない」ゲホッ

 

鼻が…痛い。

 

「もう~、何そんなにビックリしちゃってるのさ…」


「いつもしてることじゃん」

 

老人に寄り添うように優しく、私の背中を撫でる少女が呆れている。


そうだ。


キスは、今日が初めてじゃない。

 

「それはそうだが…」


「突拍子もなく言われては、驚くのが当然だ」

 

「え~、そんなものかな?」

 

「それに、ここは外なんだが…」

 

「でも、誰もいないよ?」

 

聞こえるのは草木の囁き声。


しかし問題はそこではなく、野外での接吻は流石に恥ずかしい。


それに、誰が通るやも分からない。

 

「何故、今なんだ?」

 

「えっ//」


「いや、それは…別にそんな深い意味はないんだけどね?……//」

 

「うん」

 

「ただ、なんとなく…したいんだ……//」

 

指で作る可動橋が、上がったり、下がったり。


頬はほんのり赤く染まる。

 

「なるほど…」

 

「ね、良いでしょ?……//」テ ギュ

 

「…//」

 

白く細い指が私の指と絡まって。


物欲しげに見つめる目が、とても妖艶で。

 


君が人生の一人目ならば、きっとその魅了に溺れていただろう。

 


「…」

「一回だけ、だぞ…//」

 

「うん…//」

 

近づく、肉。


何故こうも。


引け目が私を睨むのだろう。

 

…。


目を反らす。

 

 

「「…んっ//」」チュ

 

 

重なる唇が、私に罪悪感を与えるんだ。

 

「…」

 

君と初めてキスをしたあの日、私の体は違和感なく受け入れた。


…知っていたんだ、その感触を。

 

 

「…//」

 

「…えへへ、はちみーの味がした///」

 

「…そうだな……」

 

はにかむ少女の笑顔は、舌が感じた蜜よりも甘くて、濃厚に思える。

 

「…」

 

でも今は、苦さを強く残してしまうんだ。

 

同じなんだ。

 

この感触、彼女のそれに。

 

『オグリ…』ズイッ

 

『ル、ルナ...//』

 

『…』チカヅキ

 

『ちょ、ちょっと待ってくれ///』

 

『どうした、緊張してるのかい?』

 

『私は、キスなんて生まれてこのかた一度もしたことがないんだ…///』

 

『そんなことか…』


『安心してくれ、それは私も同じだ//』

 

『そう…なのか?』

 

『あぁ、だから…』

 


『私も今、鼓動が鳴り止まないよ//』

 


重なる印肉のリップ音。


初めて味わった、蜜の味。

 

『オグリッ…//』

 

『ル…ナッ…///』

 

やがて甘ったるさをました甘美は、ドロドロとその粘度を増していく。


私達は、互いに肉を絡ませ。


ただ…ただ、ひたすらに。

 


互いを、貪った。

 


「オグリ?」

 

「…………」

「………………ルナ…」

 

「ねぇ、オグリってば!!」バシッ

 

「!」ハッ

 

強く背中をノックされ開いた扉から、私は引きずり戻される。

 

「…テイオー」

 

また君は、過去に沈んでいく私を救ってくれたのだな。

 

「すまない…」

 

「もう、急に1mmも動かなくなるし、目は虚ろだったし、話しかけても反応しないし…」


「心配したんだから!」プンスコ

 

頬を膨らます少女の言葉が、耳に痛い。

 

「ごめん、少し…考え事をしてしまってな……」

 

「………」


「もしかして、オグリ…」

 

 

「会長の事…考えてたんじゃないの?」

 

 

「?!」

 

少女の横顔は、悲しげに。


発する言葉は、重く。


私の心臓を、握る。

 

「…」

 

彼女は他生徒から様々な呼び方をされているが、この少女は会長と呼び慕う。

 

「それは…」

 

伝う冷や汗は、焦りか、恐怖か。

 

「やっぱり、そうだったんだ」

 

はちみーを見つめる君の瞳が、私の心臓を締め付ける。 


少女の哀愁を含んだ瞳が、心臓に針を一刺し、また一刺し。


見たくなかった、そんな顔は。

 

「…ねぇ、オグリ………」

 

「な、なんだ?」

「…テイオー……」

 

「オグリはさ………」

 


ボクと会長、どっちが好きなの?

 


「…そ……………」

「……それは………………ッ」

 

少女が私を見つめている。


その目に、喜怒哀楽が感じられない。


何故だか、目を反らす事が出来ない。

 

「それ…は……」

 

憂鬱な空色に、吸い込まれてしまいそうだった。

 

「…」

「…いいや……」ボソリ

 

「えっ?」

 

「もう、いいや」

 

重くのしかかる何かが消え、いつもの優しい声色が私を困惑させる。


少女の瞳から私がフェードアウトした。

 

「それは、どういう…」

 

「ボクね、凄く嬉しい」


「オグリと居られる今が、堪らなく楽しい」


「だから、ね…」

 

優しく微笑む君の水晶体が、私を微かに歪ませている。

 

「それだけでボクは、充分幸せなんだ…//」ニコ

 

「…テイオー」

 

「あはは」

「ごめんね…難しいこと聞いちゃって」

 

まるで、子供を諭すように。


悩める羊を導き、宥めるように。


そう言って立ち上がった少女の横顔は。

 

悲しげに、曇っていた。

 

「さーてと…そろそろ行こっか!」

 

「…ぁ」

 

「ほらほら、置いてっちゃうよ?」ニカリ

 

差し伸べられた手の平が、君の慈愛に満ちたような眼差しが。


私により罪の意識を植え付ける。


グリグリと、体の中央へ押し込まれ。

 

「あぁ、うん」ギュ

 

二度と、引き抜くことはできまい。

 

「…なぁ、テイオー」

 

「何、オグリ?」

 

あの時、何故答えが出てこなかったのだろう。

 

「…//」ギュッ

 

「…!//」

 

嘘でも良いから、君を選びたかった。

 

「このまま、手を繋いで帰らないか?」

 

だが、駄目だった。


…分からなくなったんだ。

 

「…//」パァ


「うん!//」ニコリ

 

私は本当に、君が好きなのか。

 

「…えへへ、あったかい//」

 

ただ君から感じる、彼女の面影を好いているだけじゃないのか。


ただ君を、彼女の代わりにしてしまっているだけじゃないのか。

 

「そうだな//」

 

そう考えたら言葉が。


…詰まってしまったんだ。

 

「………」

 

 

だから、もう少しだけ。


後少しだけ、待っていて欲しい。

 

これから君と過ごす日々。


そこで私は、自分なりの答えを見つけ出して見せるよ。

 

「~♪」ルンルン

 

「テイオー」ギュ

 

「ん?」

 

そして必ず、問う君に提示する事を誓おう。

 

勿論、その時は。

 

君を笑顔に出来る返事を、きっと。

 

 

…だから。

「その日まで少しだけ…待っていてくれないか?」ニコ

 

「…オグリ」


「………フフッ//」

 

嬉しそうにはにかむ横顔は、まるで小さな子供のように愛らしく。

 

「うん…わかった」


「ボク、待ってるからね…//」ニコリ

 

それでいてとても色よく、私の鼓動をなり止ませない。

 

「…フッ」


「ありがとう、テイオー」

 

あぁ…。

 

やはり私は。

 

 

 

 


君の笑顔が、好きだ。


                                              完

 

 

おまけ。


「!」

 

君と歩く帰り道。


柔らかな手の感触が、私に幸福とは別の何かを投げかける。

 

「なるほど!」

 

「えっ、いきなりどうしたのオグリ…?」

 

突っかかっていたボールがストンと落ちたような衝撃。

 

「さっきのテイオーの言葉は、氷をツルツル滑るという表現と動物の鶴(ツル)をかけたダジャレだったのだな!」パァ

 

「…?」


「ツ、ツル…?」

 

「あぁ、そうだ」

 

ようやく脳に解答(かいとう)が示された。

 

『スケートしてる時のオグリ、まるでツルみたいだった!』ドヤッ

 

「…!」


「もしかして、あの時言った…」

 

「そう、あれだ!」

 

「…」

「いや、遅いよ!」ビシッ

 

少女は透かさず、私に手の平をぶつける。


そのツッコミのキレたるや、タマにも負けず劣らずの光る物を感じることができた。 

 

「流石に今気付いても、冷めちゃってるよ!」

 

「す、すまん…」

 

(………!)

 

閃きとは、突然に。


冷めてしまった洒落はレンジへと。

 

「なぁ、テイオー」

 

君の渾身のギャグに、私も答えよう。

 

「なに?」

 

 


「先程のテイオーのギャグ、氷だけにとても滑っていたぞ!」ニコッ

 

同じテーマで、私は返す。

 

「………」

 

「…………」

 

悟った。


私は、間違っていたことに。

 

 

その後、帰宅しても尚少女は口を聞いてくれなかった。


私は、洒落が嫌いになった。


                                             甘

【(ウマ娘)オグタマss】「破滅馬優艶」

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「タマ、大丈夫か?」

 

「…」キョトン

 

綺麗な銀髪を靡かせる小さなウマ娘は、私の言葉に面を喰らったように目を丸くする。


花瓶に入れられた竜胆が、白い空間で青紫に怪しく目立っていた。

 

「どうした、タマ?」

 

「いや、アンタ…ウチのことタマって……」

 

「駄目…だったかな?」

 

「へっ?!」

「い、いやそんな訳じゃあらへんけど…//」

 

「そうか」

「なら、良かった」

 

「…//」

 

私は、彼女が居るベッド近くの丸イスに腰を降ろす。


病院で見舞いに来た生物の9割が座らされるこの背もたれのない椅子が、私は少々苦手だ。

 

「アンタ、ウチのお見舞いに来てくれたんか?」

 

「それ以外に理由があるのか?」

 

「…そ、そうやな」

 

彼女が浮かべる困惑顔は、初めて出会ったあの時と似ていた。


私が手を差しのべた際の君がした顔を、私は忘れはしないだろう。

 

「まぁ、なんや…おおきに//」

 

彼女は頬をポリポリと、恥ずかしそうにお礼を述べた。

 

「かまわない」

「それより、差し入れを持って来たのだが」スッ

 

「全部食いもんみたいやな、それ」

 

先程コンビニで買ってきた好きなお菓子やら林檎等を詰め込んだ不透明な袋は、あっけなくその正体を暴かれる。

 

「ああ、そうだ」

「林檎、食べるか?」

 

「そうやな、そいじゃ一つ貰うわ」

 

「はい、タマ」

 

「…」

 

華奢な指は、赤い果実の台座によく似合う。


見つめる君も、それを移す艶やかな赤色も、絵になるな。

 

「剥いてはくれんのか?」

 

「…?」

「林檎は噛る物ではないのか」

 

「病室にいる人間に丸々渡すやつがあるかいな…全く」

 

林檎は丸噛りが基本だと思っていたが、どうやら違ったらしい。


このままでは食べられないと刃物を要求する君に、私は愛用ナイフを手渡した。


禁断と歌われた果実の皮が削がれ、あれよあれよと丸裸にされていく。

 

「~♪」ムキムキ

 

「…」ホゥ

 

その姿を見ていると、何故か同じ学園の生徒であるスーパークリークという一人のウマ娘が思い浮かんだ。

 

「…」

 

削いだ皮は、食べても良いのだろうか。

 

「ふふっ、兎さんにしたるからな♪」

 

淡々と解体して形を形成する姿が、風とともに私を刺激する。

 

(タマ、君はやはり…)

 

愛おしい。

 

「オグリ?」

 

「なんだ」

 

「ほれ、アンタも食べ」ヒョイ

 

「あ、ありがとう」

 

何の面白味もないただの林檎が、刃物だけで兎さんに変身していた。

 

「ハムっ」カジリ

 

頭に当たる部分を一噛りすると、可愛い兎さんの頭部が歯形模様になる。


私を喜ばそうと少ないながら時間をかけて創られた兎さんが、一瞬で再びただの林檎に変わった。

 

「…」

「美味しいな、これ」

 

どうしても重なる君に、微笑み混じりで残りを噛み砕く。


果汁が、甘く記憶を呼び出した。

 

─────────────

 

タマモクロスは、あの日走る事を失った。

 

不慮の事故だった。

 

直ぐに救急搬送され検査を受けた所、歩く事はままならず、走る事は二度と出来ないだろうと医師に告げられていた。

 

私にとってあの出来事は、運命の出会いを果たした記念日だ。

 

「い゛っ…あぁ…」

 

晴れが一変曇り空。

 

走れなくなる程の怪我、君は足を押さえて声にならない悲痛を訴えていたのを今でも覚えている。

 

「ぁ゛…あぁ゛」

 

雲の唸り声と悶えるダミ声が、私の脳に響いてはクラシックのように心地良かった。

 

「…//」

 

 

私はあの時、彼女に恋をした。

 

 

同室者でありライバルであるタマモクロスというウマ娘を、私は心底嫌いだった。


芦毛の怪物と恐れられた私にいつも楯突く白きイナズマが耳をつんざく。

 

『もっと鍛練して、いつかアンタを追い越してみせるからな!』

 

努力をミルフィーユするお前の瞳が、メラメラと業火を放つお前の瞳が。


嫌悪感を覚えさせた。

 

 

「ぃ…ぃだ゛……」

 

倒れこんだその姿に、私の体が潤いを行き渡らせる。

 

なんて。

 

(……)

 

なんて、美しいのだろう。

 

彼女は、ひたすらに努力を積み上げてきた。

 

だが、その積み上げた努力の数々が。

 

私に届こうと段を成した努力が、たったほんの一瞬の出来事により。

 

崩れさった。

 

残ったのは辺り一面にバラバラと散らばった努力と、地面に這いつくばる一人のウマ娘

 

 

破滅。

 

 

消火困難だと思われた業火の瞳があっけなく鎮火し、暗く洪水に見舞われている。

 

 

そんな様子が本当に、酷く美しかった。

 

 

(あぁ、タマ…///)


(…とても綺麗だ……)

 

まさか君に、そんな素質があったなんて。

 

まさか君が、そんな宝石を隠しもっていたなんて。

 

 

「大丈夫か…タマ…」スッ

 

「…オグ…リ……?」

 

気付けば私は手を差し伸べ、愛しい君の名前を呼んでいた。

 

─────────

 

「…」

 

「……リ…」

 

「…オグリ……?」

 

「!」

「どうした、タマ」

 

「それはこっちの台詞や…」


「林檎嫌いやったん?」

 

「いや、大好きだ」

 

林檎も、君も。

 

「タマの剥いてくれた林檎は格別に美味しかったぞ」

 

「ははっ、何言うてんねん」


「誰が剥いたってそない変わらんやろ」

 

いや、きっと違う。


君の表情、手付き、音程の外れた適当な鼻歌。


私の目に焼かれる光景が、味を引き立てる発端になったのだ。

 

気力ある他の生物では、こうはいかない。

 

(…)

 

そう言いたかったが、寸でで言葉を酸素と一緒に動脈を巡回させた。

 

「………」

 

「タマ?」

 

擬音すらないタメ息が、そよ風に混ざる。

 

「ごめんな、オグリ…」

 

「?」

 

うつ向いた君に映る物は、二羽の兎さん。


髪が目元を隠し、パラオのような瞳を隠してしまう。

 

「何故、謝るんだ?」

 

「ウチは…いつかアンタを追い越してみせるって、そう誓ったはずやのに……」


芦毛の怪物たるアンタを追い掛け轟く白いイナズマとして…」


「アンタと互角にやり合えるんは、ウチだけやったんに………」

 

兎が濡れている。

 

だんだんと力を失くす声が小刻みに震えて、壊れかけのラジカセみたいだ。

 

「ウチはもう、走る事はおろか、歩く事さえままならんくなってもうた……」

 

「せやから」

 

「!」

 

こちらに向く君を合図に、窓を入り口とする風が髪を靡かせる。


パラオから零れた海水が、私の顔を歪に映していた。

 

「ごめんな……オグリ………」


「アンタの隣に居てやれんくて……」

 

「タマ…」

 

白い食器に出来た新しい海は、タマのように綺麗な青色はしていない。


声色は怒りと悲しさをブレンドしたように、複雑で難解だ。

 

(タマ…)

 

君は。

 

勘違いをしている。

 

私が、孤高の狼に思えたか?

 

私が、強さに無聊を謳歌しているように思えたか?

 

 

君と出会ったのはつい最近だ。

 

 

私の忌避したタマモクロスというウマ娘は、いつも背中で光を発していた。

 

私が走る理由は簡単だ。


私が強さの頂点に立つ事は必然だ。


私が見たいのは、前の景色じゃない。

 

1位となり、直後振り向いた時に見える光景。

 

それまで積み上げてきた努力が全て崩れ去り、苦難の表情を浮かべる少女達の顔。

 

挫折し、やがて破滅する。

 

無が負として渦巻く風景が、どうしようもなく私の体に至福を潤して止まない。

 

塩辛い汗が、味付けされたステーキの如く舌に美味をもたらす。

 

「…」

 

しかし口に入った砂は不愉快だ。


ジャリジャリと口内の旨味を持ち去っていく盗人だ。

 

「やっぱ…アンタ速いな」ゼェゼェ

 

「でも、覚えとき!」

 

「ウチはもっと努力して、いつかアンタを追い抜いたるからな!」ニカッ

 

「………」

 

何度やっても同じこと。

 

永遠に2番に囚われたウマ娘

 

何故、諦めない?

 

 

勝者の絶景を邪魔するタマモクロスという少女が。

 


嫌いだ。

 

 

「…!//」

 

「タマ」

 

抱きしめた。

 

悲しさと困惑に陥った君の体温が並みよりも暖かくて、心地良い。

 

「大丈夫だ、タマ」

 

「…オグリ?」

 

耳元で言葉を発する私は、君専用の携帯だ。

 

直接侵入を許された香りが血液と共に全身を駆け巡り、二酸化炭素と一緒に吐きだされる。


私を生かす酸素が、今は君で成り立っている事実。


君を慰める事さえ、忘れてしまいそうだ。

 

「確かに、タマはもう走れない…」

 

それは望んでいなかった幸福。

 

「……」

 

「だが」

 

「?」

 

「それなら私が…」

「タマの分も走ろう…!」

 

「!」

 

追い出した口の砂は、足元の土と混ざって二度と見つける事は出来ない。

 

もう、私の食事を邪魔する者はいない。

 

「タマが走れない分、私が走って走って走って…!」

 

隣を走り抜ける度、競走者達は悔しさを噛み殺すような表情を浮かべた。


これだからわざとスタートを遅らせるのは止められない。

 

「タマの分まで、私が勝って勝って勝ちぬけると此処に誓おう!」

 

あの景色を拝む為の勝利。


何度でも、見届けてあげよう。


挫折と破滅を。

 

君は、そんな私の活躍を観ていてくれ。

 

そして再び感じて欲しいんだ。

 

己がどれだけ無力かを。

 

滑らかな生地をした布団に描いた塩水の宝石を、私に見せてくれ。

 

「オグリ…//」

 

「タマ…」

 

か弱い君を、心から。

 

「愛してる」

 

「?!///」

 

今私の視界には写ってはいないが、君がその林檎のように頬を染めていることを知っている。


心臓に顔を寄せずとも、太鼓のような鼓動が私の耳と体に聞こえる。


それはまるで揺り籠のように、眠りへのメトロノームを刻む。

 

「あ、アンタ今…ウチのこと……//」


「………」


「…」フフッ

 

(!)

 

弱々しい両手が背中を優しく包みこんできた。


それ故に抱擁する手が私を離さんと、衣服を強く握る。


まるで肩甲骨からふわりと翼が生えたみたいに。

 

「ウチもアンタのこと…」

 

「愛してるで…///」

 

「…」

 

メトロノームの遊錘が下がっていくのを感じる。


私の遊錘はそのままに。

 

「ありがとう…タマ……」ギュッ

 

すっぽりと収まる君に感謝を示すよう、より強く抱き締める。

 

君もそれに答えるよう、握る手を強めてくれた。

 

直ぐにでも折れてしまいそうな小枝同然の腕が一生懸命に私を包もうとする様が、とても愛おしく感じる。

 

 

だが、何故だろうな。

 

(…)

 

その刹那一瞬、腕さえも使い物にならないよう施してやりたいと思ってしまったのは…。

 

 

君を、より深く愛したいからか?

 


「ところでタマ…」

 

「なんや、オグリ?」

 

片腕をゆっくりと白い皿へ移す。

 

「この削いだ皮は食べても良いのか?」ビローン

 

ずっと気になっていたんだ、この林檎の皮は食べても良いのか否かを。

 

「………」


「アンタってやつは………」タメイキ

 

まるで雰囲気を台無しにされたと言わんばかりに、私はタマに冷たい眼差しをくらった。

 

「???」

 

 

──────────────────────

 

 

「どうだ、タマ?」

 

「おぉ、えぇ景色やなぁ」

 

2つの車輪が転がると、ハンドルを握る私に小石の感覚が伝わってきた。


車椅子に乗車する介護ウマは、開けた景色に遠くを見渡す動きをする。

 

「そうだな、タマ」

 

「んん~…空気も美味いなぁ」

 

「食べられるのか?!」バッ

 

試しに深呼吸を一つ。

 

「…」

「味、しないぞ」

 

微かな草木の香り以外、味なんて微塵も感じることはなかった。

 

「当たり前やろ」

 

「だが、今美味いと…」

 

「物の例えや、オグリ」

 

「なるほど」

 

やはり、空気は食べられるものではないのか。


残念だ。

 

「今日は良い天気だが、少々日差しが強いかもな」


「タマ、今度はあの木の下まで行ってみよう」

 

「んじゃ、頼むわ」

 

(…)

 

病院の敷地内に設けられた公園を進む。


小鳥が囀ずりをあげると、患者衣を着た少女の耳が音の方へ振り向く。


そよ風が吹く度に、君の匂いがふわりと舞う。

 

(…なるほど)

 

先程タマが言った「美味しい」の意味が、少しだけ分かった気がした。

 

「到着だ」

 

「涼しいなぁ」

 

「あぁ、とても快適だ」

 

木漏れ日が小さなスポットライトとして私達を歓迎している。


木々のざわめきが、ゆっくり休んで行けと言っていた。

 

「おっ、こんな所に花が咲いとんで」

 

「本当だ、これはなんという花だろう?」

 

「さぁな、ウチは花屋ちゃうからなぁ」


「でも、綺麗やなぁ」

 

太陽の光を浴びて、一輪の花が揺れている。


私は君と揺れる花を、視界にフレームインさせた。

 

私を足とする彼女と、よく似ていた。

 

美しく、だが非常に脆く壊れやすい。


もし誰かが一度でも踏んでしまえば、二度と再生する事はないだろう。


残るのは根元から折れた茎と四散した花びらという、なんとも惨い有り様のみ。

 

彼女も一緒だ。

 

仮にこれから、車椅子ごとそこにある坂から落としてしまえば一瞬だ。


打ち所悪く頭から落ちた落雷が最後に見せる姿はとても直視出来る物ではないだろう。


壊れやすく、美しい。

 

「?!//」

「な、なんやオグリ?//」

 

「…」ギュッ

 

君はどうして平然としていられる?

 

私が今君に危害を加えても、抵抗なんて出来ずにされるがままになるというのに。

 

そんな事を思考したりはしないのか?

 

何故、突然自身に好意を向けてきた相手を信用する事が出来るのか。

 

(嗚呼…)

 

君が愛おしくてたまらない。

 

(私が、君を守ろう)

 

生物とは、強き者を好む傾向にある。


誰かに支配されている方が、心に快適さを産む事が出来るからだ。

 

故に弱き者を嫌う。


早くして走れなくなった周辺の人間程度まで落ちたウマ娘など、なんの意味がある?


ただの手間のかかる少女が好かれる理由なんてない。

 

(だが、私は違う)

 

だから、好きなんだ。


か弱く無能で未来のない、破滅で地面に叩きつけられたセミのような君を。

 

心から愛することが、出来るんだ。

 

「ははーん」ニヤ

 

「?」

 

「オグリぃ、アンタ今いやらしい事考えてるんやろ~?」ニタニタ

 

後方に向いてきた顔が、イタズラに笑っている。

 

…いやらしい?

 

坂から君を突き落とすのも。


両腕さえも奪いたいと思うのも。


あの時聴いたクラシックをもう一度聞きたいと考えるのも。

 

これは、いやらしい事…なのだろうか。

 

「よく分かったな、タマ」ズイッ

 

「ひょえ、ちょオグリ?///」

 

「い、今のは冗談で言ってみただけで…そのやな…///」

 

「…」ジッ

 

「…///」

 

手遊びをしてまごついた君がとてもじれったい。


しかし、ようやく何かを決心したのか赤くしながらモゴモゴと口を動かす。


ただでさえ小さい君が。より小じんまりとして見えた。

 

「…ちょっとだけやからな……//」

 

「分かってる」

 

 

「…んっ//」

 

「…」

 

緑に囲まれながら、私達は静かに唇を重ねる。


互いに肉の感触を確かめるように、じっくりと、混ざり合うように深く。

 

「ごめん、タマ」

 

「?」

「…?!!///」

 

私達から淫猥な水音が鳴る。

 

絡み合う肉と零れる潤滑油のような唾液が、行為を引き延ばす。

 

助けを求めるように私の手を握るタマの表情が扇情的で、全身を燻らせた。

 

(美味しい…)

 

どんな肉よりも艶やかで。

 

どんな肉よりも甘美だ。

 

貪欲に貪っても、尚足りない。

 


あぁ。

 


文字通り、君を骨の髄までしゃぶりたい…。

 


「ぷはっ//」

「ゲホッ、ケホッ//」

 

「大丈夫か、タマ?」

 

久方ぶりと言わんばかりに君は唾液まみれの口で酸素を取り込む。

 

「誰が…舌入れてえぇちゅうたねん……」

 

「すまん」

 

袖で乱暴に口周りを拭き取り、乱れた髪を手櫛で直す。


乱れた理由は私が余った手で弄り倒したからだ。

 

「タマが可愛いくて、ついな」

 

「あ、あほ!//」

「そないなこと言っとけばウチが許すとでも思うとるんやろ!!///」

 

「まぁ、実際そうやけど…」ボソッ

 

ピクリ、耳が微かな空気の震えを感じる。


君のメトロノームが脈を刻む音が、ここからでも良く分かった。

 

相変わらず、私の遊錘は動きを見せない。

 

「…」ジッ

 

「~ッ///」

 

「ふ、ふん!」プイッ

 

車体ごとそっぽを向かれてしまった。

 

心配なんてない。

 

少しばかり顔を覗かせる尻尾が手招きしている仕草は、いつもの合図だ。

 

「何ボーッとしてんねん…」

「ほらっ、サッサと行くで…//」

 

「…」

「分かったよ、タマ」

 

クスリと笑った後、再びハンドルを握って病院へと車輪を回す。

 

「………」

 

その道中、走る人々を横目に俯く君を見て。

 

メトロノームが少しだけ、早く揺れた。

 

 

─────────────────────────────

 

在りし日の出会いから、私にとって君を見下ろす日々は至高だった。

 

外界へ赴くようになって、景色をなぞる都度。


ひたむきに走り続けるウマ娘達を見かける都度。

 

私がレースで功績を上げる都度。

 

君は、決まって悲しげな表情を浮かべていた。

 

眺めたって、脚は動かないことなんて分かりきっている筈なのに。

 

月日経とうと諦めなきれないしつこい執念は、イタズラに自分を傷つけるだけだと何故分からない?

 

やめてくれ。

 

そんな顔をするのは、やめてくれ。

 

(…)


(…///)

 


私の衣服がまた、涎だらけになってしまうじゃないか。

 

 

『オグリッ…///』

 

『壊して、もっと激しくして…///』

 

『ウチを壊して///』

 

ほぼ毎日のように貪り食らう怪物に、君は執拗に求めてきた。


君から差し出された好意を、私の行為で力任せに無下にする事が。


最高の快楽だったよ。

 

 

「オグリ…なぁ………」

 

「…」

 

楽しい日々はあっという間だ。

 

奇跡的絶望は突然だ。

 

「な、なぁ…」

 

「…」

 

年単位で流れた時が起こした行動は、明らかな私への反逆。

 

知らなかった。

 

君が密かに努力をしていることを。

 

 

『…オグリ』

 

普段から何も考えず歩く私に、小走り気味に近寄る影一つ。


疑問は声が答えてくれた。


毎日、数年、聞いた音。

 

『タ………mッ……………』

 

振り向いた私にニカリと笑ったウマ娘は、タマモクロスだった。

 

その顔を止めろ。

 

醜い笑顔が、私に絶望的事実を次々と体に突き刺してくる。

 

止めろ。

 

『…』

 

『ウチ、ずっと努力してん』

『アンタに内緒でな』


『どうや、驚いたか?』ニヤニヤ


『正直、まだ走れるほどではないんやけどな…』


『でもな、お医者さん曰くこのままリハビリ続ければ走れるようになるのも夢やないって言ってくれたんや!!』

 

『………』

 

ノイズだらけの声が耳を剥ぐように痛い。

 

話なんて断片すら聞こえてはいない。

 

だが。

 

ただ一つ分かる事があるのなら。

 

『………』

 

鼓動が嫌な音を立てている。

 

いっそ潰したい。

 

君を消した原因は。私なんだ。

 

目の前で騒音を出すウマ娘から発せられる言葉を単語単位で聞いて理解した。

 

私が君に捧げた愛が。

 

君を救済してしまったことを。

 

(……………………)

 

失意が背中をヒタヒタと這い上がって来る。

 

渦巻く感情は、悔恨。

 

(私の…せいか?………)

 

私のせいで、彼女をこんなにも醜い姿へ変えてしまったのか。

 

違う。

 

違うんだ、タマ。

 

私は、君を愛していたんだ。

 

無力でか細く光のない、君のことを。

 

(ごめん…タマ)

 

過ぎた時は、後悔する生物を嘲笑う。

 

愛が誰かを救うなんてごく当たり前のように思えて、とても不可解な現象。

 

愛は全てを救えない。

 

自然界において織り成される弱肉強食という現象は、絡みのない線。

 

シンプルであり、神聖。

 

例え弱肉が強食に狩られようとしていても、人間等が救うことは絶対にあってはならない。

 

摂理を乱す事は禁止事項だ。

 

私とタマは弱肉強食という関係に、隙間なくピタリと当てはまっていた。

 

筈だ。

 

…違ったのか?

 

私は下手に救済の手を差し伸べる、第三者的生物だったのか?

 

私が…摂理を乱した。

 

『………………』

 

伝う汗が、とにかく不安だけを沸き立たせる。

 

『オグリ』

 

『…また、一緒に走ろな!』ニカッ

 

『…!』

 

リボルバーに詰められた火薬弾1発が、空振って、空振って。


やがて指を緩めたのに。

 

その一言で、最後の引き金が引かれた。

 

『…』

 

『オグリ?』

 

『黙れ』

 

『?!』

 

決して潤わない乾いた音が、響く。

 

『気安く私をオグリと呼ぶな…』

タマモクロス

 

『…』

 

 

『…へっ………?』

 

 

落ちる汗一滴が、静寂を示していた。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ…オグリ……」

 

黒塗りに目だけをくっきりと光らせる私に、タマモクロスが表情を引き吊らせる。

 

混乱。

 

脳は言葉の意味を理解した上で、言葉の真意を見抜けない。

 

「今のは、どういう…」

 

「そのままの意味だ、タマモクロス

 

氷に塩を振りかけると、氷はより冷たくなる。

 

今お前が目元に浮かべる塩水は、私をより氷点下へと誘うだけだ。

 

「ほ、ホンマにどないしたんやオグリ?」


「なんかウチ、アンタを怒らせるような事したんか?」

 

私は怒っていない。


私は自分に怒っている。

 

「いつも通りだろ、タマモクロス

 

そう、これはいつも通りだ。

 

数年前までは。

 

「な、なんでや!」

「ウチらこないだまであんな仲良かったやん…」

 

よろよろと、私と距離を詰めて来る。


先程の一言を始めとし、段々と意味を理解しつつあるようだ。

 

「なぁ…お願いや……」

「怒ってるんなら謝るから……」

 

しかし、残念な事に理解すればする程動揺は酷くなる。


挙げ句、私にすがり付く始末。

 

「答えてくれ、何が不満なんや…?」

「アンタの為なら、ウチはなんでも出来る…」

「だから……!」

 

正直、今すぐにでも脚を奪いたかった。

 

だが、それじゃあダメなんだ。

 

努力していたにも関わらず自らの運命によって行き着く破滅こそ、美しい物。

 

自分の手で相手を破滅させても、満足のいく作品にはならないだろう。

 

「オグリ、なぁオグリ…!」

 

「…」

 

「ひゃっ……」

 

ナイフを握る力を緩め、眼前のウマ娘を強引に剥がす。


よろめきはしたものの、やはりウマ娘


尻もちまではつかない。

 

「オグリ…?」

 

「…」クルッ

 

「あ…」

 

踵を返し、私は歩きだす。

 

力のない引き留めが風のざわめきで消えている事を、本人は知るまい。

 

「ウチは!!」

 

「…」

 

背中で轟く稲光が、私の耳をつんざいた。


雨も、降っている。

 

「アンタがどんだけウチを嫌いになっても!」


「どんだけぞんざいに扱っても!」

 

「ウチは、アンタを愛してる!!」

 

「……」

 

鼓膜を殴るような声量は、数秒の間銅鑼のように脳内で響いた。

 

タマモクロス

 

「…!」

 

木から羽ばたく鳥達。

 

稲妻の声に、最後。

 

私も答えることにした。

 

「君は今、私を愛しているといったな?」

 

「…オグリ……?」

 

「私はな」

 

顔のみを、後ろへ振り向ける。

 

 


「君が大嫌いだ」

 

 


吹き矢の如く放たれる直線のトーンがタマモクロスを貫く。

 

「ぁ…あ……」

 

その場に力無くへたりこむ彼女は、もうまともに喋ることは出来ないだろう。

 

世話しなく生産される涙と嗚咽が、言葉から意味を失わせる。

 

「…」

 

「ぅ゛…ぁ……」

 

程よい塩の味付けは大好きだが、これは少々塩分過多だ。

 

擬音が聞こえる大粒の涙が、アスファルトをそこだけ濡らしている。

 

「…!」

 

(………タマ…)

 

無力となった自身を、いつでも一番側で支えてくれた愛を向けるウマ娘に突然見放され。

 

自身がもっとも大切とした存在を失った彼女は。

 

苦痛と破滅に、嘆き奏でるダミ声を上げた君の表情によく似ていて。

 


「……………」

「……………………////」

 

 

酷く美しかった。

 

                                             完

【(ウマ娘)オグタマss】食物の定型

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「タマは、愛らしいな…」

 

今日のトレーニングが終わり、部屋のベッドに腰を降ろしていたらデカい影が言葉を放った。


まぁ見るまでもなく、それはウチと同室のオグリの影やったわけやが。

 

「ど、どしたんオグリ?//」

 

全く、突然近づいて来てなんやねん。


折角一息ついてたんに、アンタのその言葉で心臓が活発になってもうたやないか。

 

「今日は…えらい突然やな…//」

 

「…」

 

(めっちゃ真顔やん…)

 

ただでさえデカいオグリが、腰を落としてるせいでより巨大に思える。


視点を上げて入って来よった顔は、真剣というより真顔や。


どういう感情で今の言葉放ったんか、ウチには良くわからんかった。

 

「タマ」ナデ

 

「んなっ?!//」

 

頭部に手の平を被せたかと思うと、オグリはウチを撫でてきよった。


優しく、往復を繰り返す。

 

「な、なんや!//」

 

「…」ナデナデ

 

「やめんか、ウチを子供扱いするんやない!//」

 

「…」ナデナデ

 

言葉は風のようにオグリに当たっては、また空気の一部として散っていく。


その間にも、撫でてきよる手つきに心地良さを生んでしまう。


もう少し、このままでも…ええか。

 

「…なぁ、オグr」

 

「タマは、可愛いな」

 

ウチの言葉を遮ってまで出した二言目は、さっきと大差ない情愛やった。

 

「な、何や…//」

 

「タマ、君は…」

 

 

本当に愛らしい。

 

 

今の一言を皮切りに、オグリは手をゆっくりと滑らし始めた。

 

「綺麗な髪だ」サワッ

 

「アンタも、似たようなもんやろ…//」

 

「いや違う」

 

細く長い指がまるで髪の質を確かめるように、生え際から毛先までをスルスルと動く。


髪には神経なんてもんないはずや、ないはずやのに…。


髪を泳ぐ指の感触を髪一本一本が感じとり、その度にウチはピクリピクリと反応してまう。

 

「手触り、匂い、タマ以外の毛を触ろうとは到底考えなくなる」サワッサワッ

 

「そ、そうか…//」

 

今のは、それだけウチの髪を贔屓してくれてるっちゅう事やな。

 

「タマ、君は力強い走りからは想像も出来ない程に華奢だな」

 

「んっ//」

 

次の標的をじっくりと、探すように。


肩から二の腕へと、オグリの指が滑り降りてくる。


さっきから思っとったが、どこでそないな生々しい触り方学んできてん…。

 

「綺麗な肌だ、私の指がまるで摩擦を感じない」

 

5本の指が、左右露出した腕の表面をゆっくりと這う。


触れるか触れないかのギリギリ、いわゆるフェザータッチがウチにもどかしい快感を与えてやまない。

 

(こんな事なら上脱ぐんやなかったな…//)ピクッ

 

練習直後は暑くて敵わんと脱ぎ捨てた青いジャケットが、たまらなく恋しい。


脱いでしまえばほとんど肌の出る上半身は、今やオグリの指が私有地にしとる。

 

「っ//」ピクッ

 

「タマ、感じているのか?」スッ

 

「ち、ちゃうわ!!//」

 

意味のない否定と分かっていても、素直に首を縦に動かすなんて出来ひん。


本当に、意味ないんけどな。

 

「フフッ、良い表情だタマ」

 

「…ッ///」

 

やっと笑った。


でも、依然として漂うどこか異様な空気感は変わらず滞在中だ。


オグリの目は、笑ってなかった。

 

(なぁオグリ、アンタの目には何が映っとんのや?)

 

ウチだけを未だ鮮明に投影し続けるその瞳は、何を考えているんや。

 

「指、キレイだな」

 

「…//」

 

「ほら、私の手と比べるとこんなに小さいぞ」

 

オグリのに収まったウチの手の平が、じんわりと熱を伝導する感覚が伝わる。

 

「小さくて、わるかったな//」

 

「何を言っている」


「だから好きなんだ、君の手が」

 

言葉と共に合わせていた手が離れ、指の間や関節、爪を念入りに弄っていく。


それは片や新しい玩具で遊ぶ小さな子供だが、その眼差しが獲物の質を鑑定する肉食獣にも思えた。


触れられる度、ピリピリと快感の浅波が駆け巡り、何かへ怯えるように冷や汗が背中を伝う。

 

(このまま、オグリに流されたらいかん気がする…///)

 

「なぁ、オグリ…そろそろ止mッ?!」

 

オグリの顔が、ウチの腹部とピッタリ合わさって消えていた。

 

「ちょ、ちょいアンタ何やってんねん!?//」

 

オグリは、ふとした時に何を考えているのかわからんくなる。


でも、だいたいは飯の事を考えてるだけやったってオチが良くある話や。


今日のオグリも、実を言えばいつもと似ている。

 

「…」スーハー

 

「んぁ//」

 

呼吸がこそばゆい。


じんわり温かい。

 

「タマ、君のお腹は秀麗だ」

 

口から発する言葉の風が生温かく、ウチをくすぐってきよる。

 

「君が勝負服を着る度に、私はこの引き締まった体に目を奪われていた」スリスリ

 

頬擦りをするオグリの声色は、先ほどよりもどこか楽しげで先ほどよりもどこか背筋に悪寒が走り出す。


止めようとすれば遮られ、新たな快感にまた遮断機のバーが上げられる。

 

(さっきから、その繰り返しやんけっ///)

 

「嗚呼、タマ…」ギュッ

 

頬擦りをしていたかと思えば今度はそのまま両腕を背中に回し、がっちりと抱きついてきよった。


オグリのホールドは、身を捩らせても、本体を引き剥がそうともビクともせえへん。

 

(このままやと、全部オグリに手玉とられてまう…//)

 

そう思いつつも、それでもええかな。


なんて考えたウチは、何なんや。

 

「な、なぁオグリ……//」

 

今度は、ガツンと言ったるで。

 

「そろそろ、離れて…くれへん……?//」

 

「…」

 

少しだけ、腕の力が強まった。


オグリは甘えん坊や、だからいつでも甘えてくれてかまわへんしウチもそれは嬉しい。


でもな、突拍子もなく口説き言葉かまして体おもちゃにされるんは流石に少しばかり待ってほしい。

 

(…でも、やっぱり嫌ではないんや……)

 

「オグリ、いい加減離れてくれへんか?」


「じゃないとウチもそろそろおk…」

 

「タマは、少し力を入れれば折れてしまうな」

 

やっぱり、冷や汗止まってくれへんわ。

 

「…オグリ……?」

 

空気とは止まることを知らない。


だが今この瞬間だけは、凝結したとしか思えない程に音がパチリと消えた。


無音の空間で聞く心音と、脈動の感触がこんなにも不安を掻き立てるスパイスになるとはウチかて驚きや。

 

「…」

 

依然黙りを決め込むオグリの言いたいことはようわかった。


そして、もし警告を無理矢理抜けようものならコイツは本気でウチをへし折る。

 

(…結局)

 

ウチはオグリの玩具になるしかないんやな。


長い付き合いは、皮肉にもよく理解させる。

 

「スベスベだな…」 


「ほんのりと香る汗の匂いが私を更に駆り立てるよ、タマ…」

 

恍惚な表情でウチを堪能するオグリを見て、片隅の疑惑が確信へと変わった。


ウチらは同じウマ娘、つまり同種でありながら上下に差があったんや。

 

(あ、おい誰や今ウチの事バカにしたんは!)

(背丈のこと言っとるんやない!)

 


弱肉強食。

 


弱き肉は負け、強き者がそれを食らう。


すなわち、狩る側と狩られる側。


食う者と食われる物。

 

その構図が、今まさにウチとオグリの間で完成していた。

 

最初の時から始まっていた言い知れぬ恐怖は、食われる草食獣の心境。


違和感と肉食から逃げようともがくのは、自身が食い物ではなく生き物であることを証明したいから。

 

(このままやとウチ、オグリに美味しく食われてしまうんか…?)


(この白銀の毛と透き通る目をしたコイツに?)


(美麗な皮の内に隠された肉食らう凶暴な牙がウチをえぐるんか…?)

 

震えが、止まらない。


鼓動が、早い。


息が、荒い。

 


(…)

 

でも。

 

(…///)

 


口角の上昇を、止められない。


体が、熱い。


歓喜を、隠せない。

 


食される事を望んでいるのは、体か、心か。

 

(ってそんな訳ない!)


(そもそもコイツがマジもんの意味で食べるとは思えへんし、それにウチがそれを喜ぶなんてそないな変態的なことあるわけないやろ!)

 

きっと違う。

 

「ひゃ//」

 

「タマ…」

 

色々考えとったから目の前にいるオグリの事を忘れとった。


くすぐったさがウチを引き戻す。


この行動はいつになったら終わるのかなんて、本人にしかわからない。


いつかの終わりが来た時、残るのは衣服かもしれない。

 

(と、とにかくコイツの包囲解かな…//)


(うぅ、だがどないせいっちゅうねん…)

 

「…!」

 

「…」

 

唸り声がウチの下から聞こえた。


オグリのとうとう表した本性の手厚いご挨拶なんてものではない。

 

「オグリ、アンタ…」

 

お腹の鳴る音。


そういえば、そんな時間やな。

 

(しめた!)

 

「おうおうオグリ、なんや腹減ったんかいな!」

 

「…」

 

緩まった。


先程まで獲物を逃がさんと手錠のように捕獲していた腕から力が抜けた。


ウチは平然を作り、ひょいと獣から抜け出していつもの日常に戻ろうとする。

 

「よっしゃ、ウチが料理作った…る?!」

 

生物とは自身の気の緩みをつかれた行動をとられると、一瞬だけパニックを起こす傾向にある。


長くて2秒、だいたいは1秒。


コイツも一緒の筈やったのに、コイツの体は至って冷静やった。

 

「酷いじゃないか、タマ」

 

「オグリ…」

 

咄嗟に握られたウチの左腕は、きっとキレイクッキリ手形を残すだろう。


瞳はそれまでウチがいた場所のまま、オグリが口を動かす。

 

「私は、君を楽しんでいたのに…」

 

「で、でも腹が減ったんやろ?」

 

「腹はこのままでも膨れる」

 

「ウチを愛でてるだけじゃ腹は膨れへんで…」


「うわっ//」

 

くす玉の紐の如く引かれた腕に体も付いていく。


捕まれた腕がそのまま頭よりも上の壁に叩き抑えられる。

 

「…//」

 

オグリの瞳がウチの瞳を見据える。


蛇に睨まれた蛙の文字通り、完全にオグリの眼に束縛された。

 

「わ、わかったわかった…」

 

ウチはとりあえず降参のジェスチャーをなんとか空いた手でしてみせる。

 

「こうなったら、最後まで付き合ったる//」

 

自分でも恐ろしく、情けなく、めっちゃ恥ずかしいこと言うてんのは重々招致や。


このままオグリの愛を無下にするのは、ウチの良心が傷つく。


逃げてばっかじゃアカンよな。

 

「ホントか?」

 

「せ、せやけどな…」

 

「アンタばっかり責めなんはちょっと不公平やないか?」

 

やられっぱなしは流石に、プライドがあんねん。


少しばかりさっきからオグリの癖に調子のっとるから、ここでやり返したるで。

 

「やからな、次はウチの番でええか?//」

 

どうして、心は喜ばない。


ご飯が相手を愛でるのはおかしいのか。


役目ではない?

 

「…駄目だ」

 

「えっ?!」

 

「私は君を愛し、また君も同じだ」


「だが私が君を思う、感謝する心は私の方が遥かに大きい」


「だからタマは、そのままで良い」

 

理屈がウチには理解出来へんかった。


だが、体が安堵を感じるちゅうことは今の理屈に納得したんやな。

 

(そ、そんな勝手な//)

 

このままやと、本当に最後までオグリに手玉取られるままやんけ。

 

「お、オグリ流石にそれはないんちゃうか?//」

 

「…」

 

「なぁ…そろそろ止めへんかオグリ?//」

 

「…」

 

「オグ…むぐっ?!//」

 

突撃した手が口内に入り、舌を完全に封じる。


ゆっくりと顔を上げたオグリは、前髪で目が暗く認識しづらい。

 

「うるさいな、タマは…」

 

「おふりっ(オグリっ)//」

 

鋭い眼光は、ウチの体全体をスタンガンのように電撃を走らせ快感を与える。


腹をグルルと鳴らした獣がどこか優しげに、教えるように呟いた。

 


食べ物は、黙って食べられていろ。

 


(そ、それは…オグリ……)

 

そんな、酷いやないか。


それはあまりにも酷すぎるんちゃうんか?


つまりその言葉はウチを同室者とすら見とらんくて、完全に食い物として見てるってこと。

 

「ぁ…うぅ……」

 

頬を伝う塩分は、最後の味付け。

 

ウチを、芦毛の怪物が冷たく見上げていた。

 

『食べ物は、黙って食べられていろ』

 

アンタに、そんなぞんざいな扱いされたらウチは。

 

ウチは…。

 

 

 

 

 

「…ひゃい///」

 

 

 

 

 

完全に、惚れてまうやろ。

 

 

 

 

 

「タマ//」

 

 

 

 

 

いただきます。

 

                                              完